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2004.04.28 |
サイト開設三周年記念コラムに関連してのウェブスクラップです。 それにしても年金未納問題でイラク問題なんてそっちのけですよね・・・、溜息。(business & life共通) ■「自己責任」問う声に反論 イラクで拘束の2人が会見 質疑応答で海外メディアからは「人質へのバッシングが続いたことをどう思うか」などの質問が続いた。 渡辺さんは、先に拘束された高遠菜穂子さんら3人の家族が、武装勢力が解放の条件とした「自衛隊の撤退」を政府に求めたことがバッシングにつながったと指摘。「家族が助かることを望むのは正当な権利。それを政府に反対する政策を主張していると受け取り、ゲリラの代弁者のように扱った」と批判した。 人質になった人たちを「反日的分子」と批判する与党議員がいることに対しては「反日で何が悪いのか」と述べた。 安田さんは、実家を取材に訪れた記者に家族が「息子をイラクに送った親の責任をどう考えるのか」と質問されたのを例に挙げ、「自己責任という言葉がどこまで考えて使われているか注意しないといけない」と話した。 安田さんは、バグダッド西方に取材に向かった理由として、「米軍によるファルージャ周辺の掃討作戦が人質事件の背景にある。その現場で起きていることを見なければならないと考えた」と強調。アブグレイブ付近での拘束については「そこまでは行けるだろうという甘い考えもあった」と反省も口にした。 目隠しされ、武装勢力に連行された民家では、子どもがお茶を運んできた。「生活の場で処刑されることはないだろう」と安心した。食事も山盛りのご飯や新鮮な野菜などが与えられたという。 安田さんは「(駐留米軍に)抵抗しているのは一部のテロリストやフセイン前政権の残党と言われるが、私たちが接した範囲では、地域住民が自分たちの社会や生活を守るために戦っている印象を受けた。レジスタンス(抵抗運動)と言ってもいいのではないか」と振り返った。
イラクで武装グループに拘束され、解放後に帰国したフリージャーナリスト、安田純平さん(30)とNGO活動家、渡辺修孝さん(36)が27日、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で記者会見し、外国メディアから、先に解放された3人の人質が「なぜバッシングを受けるのか」などの質問が相次いだ。 安田さんは「人質の家族が心配のあまり感情的に言ったことを、政治的にとらえ反応した人がいたのだろう」と分析。渡辺さんは「政策に反対する人々への締め付けだと思う。政府が何をしてきたのか、事実が見えれば世論の流れは変わる」と述べた。 2人は、相次ぐ外国人の拘束について「背景には米軍への不満がある」と指摘。渡辺さんは「自衛隊に期待しているのは、サマワに住む一部の人たちだけ。今まで友好的だった日本が、なぜ米国に従って軍隊を派遣するのか、大多数のイラク人は疑問を持っている」と話した。 安田さんは「先に拘束された3人の報道がイラク国内でも流れ、日本人が(イラク人を)支援しているイメージが広がった。今も親日感情は残っており、自分たちへの紳士的な対応につながった」と述べた。 〔産経新聞〕
そら寒い思いがする。イラク日本人人質事件で、政府や一部の政治家が人質となった5人の「自己責任」を言い立て、「あんな連中を助けることはなかった」という中傷や嫌がらせが続いていることに、だ。国家が個人に「自己責任」を押し付けるのは、どう考えてもおかしい。 昨年3月14日から5月1日まで、私はイラク北部を拠点にイラク戦争を取材した。ある日、トルコ国境から宿へ戻る途中で一緒にいたドイツ人カメラマンの衛星電話が鳴った。 「ジャーナリストが殺された」。戦場取材では必ずといっていいほど記者にも犠牲が出る。「国境なき記者団」(本部パリ)のまとめでは、昨年はイラクだけで14人のジャーナリストが死んだ。この中には、私が現地で知り合った記者もいた。 英BBCの看板記者、ジョン・シンプソン氏も、米軍機の誤爆で大けがをした。血が飛び散ったレンズの向こうで現場レポートをしていたジョンの姿を記憶している人も多いだろう。何度か一緒に食事をしたが、あれだけの目に遭っても彼はすぐにイラクを出ては行かなかった。湾岸戦争(91年)でもジョンは、BBCからバグダッド空爆開始前に退避指示が出たにもかかわらず残った。自己責任で。 私のイラク滞在中、本社には外務省から何度か「まだいるんでしょうか」と確認の電話があったそうだ。退避勧告が出ている地域にのこのこ出かけていく日本人は、政府や外務省には邪魔な存在なのだろう。しかし国家や、国連ですら十分な活動が出来ない危険地域で多くのNGOが活躍している。アフガニスタンでも若い日本人スタッフが難民を助けようと汗をかいていた。NGOの役割と期待は大きくなり、国家レベルでは手の届かない分野で活動する彼らに救われた人々は大勢いる。戦争報道でも、戦場で起きている事実やそこで苦しむ人々の姿は記者がいなければ伝わらない。そういうNGOの実績や戦争報道の意義も政府は否定するのだろうか。 記者もNGOも、自分の身を守るのは自己責任だということは百も承知である。しかしだからといって、何かあった時に国が何もしなくていいわけがない。 拘束された5人の情勢判断が甘かったことは否定出来ない。高遠菜穂子さんらはヨルダンのアンマンから陸路でバグダッドを目指し、ファルージャ近郊で給油中に拘束されたという。私も今年2月中旬には、同じルートでバグダッドまで行った。アンマンからバグダッドを目指す場合、国境から5分ほどの所にある給油所でガソリンを満タンにし、あとは絶対に停まらないで突っ走るのが普通だ。ファルージャは激戦地になる前も米軍などを狙ったテロや強盗事件が頻発していた地域であり、なぜ彼らがファルージャ付近で給油したのかは理解に苦しむ。 しかし、いくら周到に準備しても、リスクは絶対にゼロにならない。20年以上も戦争を取材してきた友人のベテラン英紙記者は「危険が予想される場所へ行くのか行かないのか。決断するのは現場にいる自分しかいないよ」と、何度も話していた。危険を減らすために、私もイラクでは毎日、戦争取材経験の豊富な欧米のジャーナリストたちと情報交換したが、それでも頭の上を迫撃砲弾が飛んでいって背後で爆発したことが2、3度ある。 NGOの活動も戦争報道も必要なことだ。それには現場に行かなければならない。事件が起きた後に結果論として「無謀だった」と切り捨てるのは簡単だが、フリージャーナリスト集団「アジアプレス」の野中章弘代表は「危険だから行かないという選択肢もあるだろうが、全員がそう判断してしまったら戦場取材は成立しない」と指摘する。 一部のメディアでは人質事件の被害者や家族を責める論調が目立つ。犯人グループは自衛隊撤退を要求し、家族らが撤退を一時、強い調子で求めた。このため「政府方針に賛成か反対か」に焦点がずれ、その面から被害者像がクローズアップされてしまったが、自衛隊のイラク派遣問題と自己責任とは本来、まったく関係がない。自己責任の押し付けを認めてしまえば、メディアは自分の首を締める。 危険度が高い地域ほど、困窮し援助を求める人々がおり、報道すべきことがある。「どれだけ多くの人に迷惑がかかるか考えろ」と政府はいう。しかし、NGOやジャーナリストが果たす役割を国家がすべて担えないのなら、使命感を持って危険地域に入る人たちを安易に批判すべきではない。 〔毎日新聞〕
バドル大使はイラク・ファルージャなどで続く米軍と武装勢力の衝突に関し「占領があれば抵抗が起きるのは当然だ」と述べ、「武力は問題を解決しない」と米軍の鎮圧策を暗に批判した。さらに危機的状況の解決策として(1)イラクで国連が中心的役割を果たす(2)6月30日の主権移譲の期限順守(3)同日までにイラク軍と警察の訓練と装備を充実(4)ブラヒミ国連事務総長特別顧問の提案を尊重−−の4点を挙げた。 パレスチナ問題に関しては、イスラエルによる一連のイスラム原理主義組織「ハマス」指導者暗殺作戦を「国際法に違反したテロリズムそのもの」と非難した。また、シャロン・イスラエル首相のガザ撤退案について「ガザ撤退は歓迎するが、それがヨルダン川西岸でのユダヤ人入植地の継続や建設と引き換えになってはならない」とクギを刺し、新中東和平案「ロードマップ」の順守を求めた。 【海保真人】 〔毎日新聞〕 |
2004.04.27 |
★サイト開設三周年記念コラム あっと言う間にこのサイトもはや3周年、されど未だ・・・Vol.3(business & life共通) 先日も、ある読者の方からメールをいただきました。その方は、ある検索エンジンからこのサイトをお知りになり、メールマガジン購読の登録もしてくださったのですが、DAILY SHORT COLUMNS上の一編が長期に渡って飛び飛びに掲載される迷路のような構成で、続けて読み進みづらいとのご指摘をいただいてしまいました。 この点についてもかねてより自認いたしてはおりますが、リピーターの方々はご承知のように、一編ずつ掲載されるというだけでとてもショートコラムとは呼べない、長いものではもう何年にも渡って連載中のロングコラムもありますし、また何編ものコラムが同時進行しているうえに、ほんの数回で終了してしまう、あるいは一日のみの単発コラムやウェブスクラップという、本当の意味でのショートコラムもランダムに混在していますので、個々にまとめるような構成の変更はとても難しいのです。 原則としてロングコラムは、句切りがついた段階でメールマガジンとしてまとめて配信しているのですが、もともと配信のインターバルが長過ぎたことから、日々少しずつ書きためているものをそのまま掲載するという趣旨で付け加えたのがDAILY SHORT COLUMNNSのページでした。 こうした無理なく私が継続していけるための運営上の諸事情をご理解いただいたうえで、月毎のINDEXページをご参照いただくか、もしくはロングコラムは当面即時性は低い内容の予定ですから、メールマガジンの配信までお待ちいただくということでご容赦いただければと思います。 以上のようなスタンスでこのサイトを運営いたしておりますが、先日以下のような内容の書き込みがBBSにありました。ご本人の了承をいただいたうえで掲載いたします。 「初めまして、POPOさん。私は東大の大学院でアジア文化の研究をしている者です。 去年夏から今年の初めにかけて、異なる目的でGoogle検索をしていたところ三度もこちらのサイトに辿り着いたことをきっかけに興味を持ち、以来全ページを拝読しましたし、メールマガジン2誌も購読させていただいています。 多岐にわたってのご意見や興味深いご経験には、いつももっともと賛同しつつ参考にさせてもいただいています。 私自身もNGOとしてのカンボジアでのボランティア活動の経験があり、予想はしていたものの今回のイラクでの民間人の人質事件にはやりきれない衝撃を感じています。 政府は自衛隊の撤退をしない基本方針を表明しており、メディアでも様々賛否両論が飛び交っていますが、POPOさんはどのようにお考えでしょうか。ご見解をお聞かせくだされば嬉しく思います」 希にこうした時事に即した内容のメールをいただくこともありはしたものの、このサイト自体がアップトゥーデートな体裁に至っていないこともあって、いただくメールからすればほんのごく一部に過ぎませんでした。 前述のように、いずれはこうした即時的話題に関しての質疑応答が日々のページの大半を占めるようなアップトゥーデートかつインタラクティブなサイトづくりを目指しているため、こうした貴重なサンプル的な問いかけをなおざりにはし難く、今回特に取り上げさせていだだこうと思います。(続く) |
2004.04.23 |
■坂本「教授」ら3人が金融NPO 環境保護に低利融資 ミュージシャンの坂本龍一、小林武史(マイ・リトル・ラバー)、桜井和寿(ミスター・チルドレン)の3氏が中心となり、資金繰りが苦しいNPO(非営利組織)などの市民活動を支援する金融NPOを発足させた。5月1日からインターネットなどで融資先を募集する。風力発電などの自然エネルギー普及や環境保護についての事業に取り組む個人や団体を対象に低利融資する。高額納税者番付の上位にも食い込む売れっ子たちだが、「資産の運用先を銀行まかせにせず、自分たちが望む事業に役立てたい」というのが動機という。 融資するのは金融NPOの「APバンク」(東京都港区)。03年に非営利の有限責任中間法人として設立され、東京都への貸金業登録も済ませた。「教授」の愛称で知られる坂本氏ら3氏が拠出金を出資。年利1%で、1件当たり原則500万円まで無担保で融資する。7月にも融資を始める予定だ。 拠出金は総額1億円規模で始め、将来は一般からの受け入れも検討する。 金融NPOの構想は、01年に坂本氏がGLAYのTAKURO氏とともに自然エネルギー普及運動「アーティスト・パワー」を始めたのがきっかけ。小林、桜井両氏も運動に参加。その後、NPOなどへの融資を手がけていた未来バンク事業組合(東京都江戸川区、田中優理事長)に刺激されて「NPO向け銀行」づくりを決意した。 APバンクのAPは「アーティスト・パワー」と、「オルタナティブ・パワー(既存のものに取ってかわる新しい力)」の頭文字。融資の審査や運営では未来バンクの協力を得る。 ◇ ◇ 《キーワード》金融NPO 環境や福祉などを手掛ける市民活動に融資するNPO。NPOのための「銀行」で、「NPOバンク」ともいわれる。銀行法に基づく銀行とは違い、預金受け入れはできない。NPOの多くは銀行などの金融機関から融資を受けにくく、個人名義で借金しているケースもある。市民などから集めた資金を融資する金融NPOが各地で誕生している。 〔朝日新聞〕 |
2004.04.18 |
★サイト開設三周年記念コラム あっと言う間にこのサイトもはや3周年、されど未だ・・・Vol.2(business & life共通) 創刊当初は1000名ほどでスタートした購読者も日を追って徐々に減少し、配信スタンド2ヶ所のうちの一方のサービス停止も相俟(あいま)って、この3年で1/3近くにまで落ち込んでしまいましたが、それでもまだ実際には、購読を継続しているだけで内容に目を通していただけていない読者が大多数かとは思います。私自身一応は目を通しはするものの、斜め読みながらも購読停止の手続きをとってはいないメールマガジンが何誌もあるのですから・・・。 それでも、感想や質問あるいは相談などをお寄せくださる読者の数や頻度、また収益につながった例(ためし)こそありませんが、時折そうしたやりとりからビジネスにつながっていくようなケースもありましたし、利用していた配信スタンドのサービス停止を機に開始した自主配信サービスへのお申し込みをいただくなど、これまでの経緯から推察して、おそらく数十名ほどは実質読者の方がいらっしゃるのではないかと思われます。そうした実質読者の方々を大切にしていきたい気持ちももちろんあるのですが、メールをいただけば迅速にご返信する程度の受動的なサイクルに未だ甘んじているのが現段階における実情です。 この三年の間にも、また様々な新たな出会いと別れ、そして事件がありました。それらのほんの一端についてはサイトやメールマガジン上でも言及してきてはいるものの、これまでのようなスローな私のスタンスではとても追い付けるものではありませんし、少なくとも当面の間はこうした後追い的な現状の打開を図れる見通しも立ちません。 生涯継続というロングタームでのサイト開設当初からの私なりの方向性や展開上の視点から、プロローグに相応な期間をあてる心積もりではおりましたが、まさか3年も要して未だ終えられないとまでは思いませんでした。「明日やれることは今日やらない」、またトップページの吹き出しにあるように、「どこにも・・・」といったような、実質現代社会における隠遁生活を送っているのに限りなく近いライフスタイルがすっかりと定着してしまい、何らかお約束ができるような状況にはないのです。 読者の方のご指摘のとおり永々とプロローグを続けていくことになるやもしれませんが(ジョークのつもりですが、さすがに自分でも笑えません・・・)、現時点で明確なことは、少なくともプロローグがまだしばらく続いていくということ、そして刻々と移り変わる世界情勢にリアルタイムに対応する、useful、valuable、interestingなインタラクティブサイトとしての実質スタートを私自身が日々目指し続けてはいるということ、そして何より何度かこれまでも表明してきたように、このサイトとメールマガジンは私の生ある限り営々と続けられていくということです。(続く) |
2004.04.16 |
まさに光陰矢の如し、気付いてみれば、2001年5月に開設したこの私のプライベートサイト"What's Cool!? by POPO"も、来月ではや3周年を迎えるのです。 サイト開設と同時に創刊したメールマガジン2誌"What's Cool Business!?"ならびに"What's
Cool Life!?"も、配信スタンド経由数多(あまた)のメールマガジンの中でも有数のロングインターバル(配信頻度が最も?低い)かつ自他共に認める地味ながら異色の存在(目的不明ながらも真面目な?マイナーメールマガジン)となりつつも、淡々気ままに発刊継続中です。 創刊時よりこれまで未だプロローグから脱却できないでいるコンテンツにもかかわらず、辛抱強くお付き合いをいただいている読者の方々には敬服しつつ、おそらくは好奇心探求心の旺盛な、そして目先の損得勘定に左右されない自らの絶対的価値基準を大切にされる方々に購読していただいているものと、手前勝手に自認いたしております。 こうしてマイナーながらも長期に渡ってメールマガジンの発行を続けていると、時折読者の方々から様々な内容のメールをいただきます。先日もこのままずっとプロローグなのでは?これでも充分面白いから大丈夫などというメール(励ましと受け止めております・・・)をいただき苦笑させられてしまいました。 私がこのサイトの運営とメールマガジンの発行を続けてきた間に、非難中傷の類どころか反論の内容すらも、メールを受け取ったり、BBSへの書き込みをされた経験が一度たりともなかったことは、ストレスなくこれまで継続できた要因の一つですし、ここでの活動を通してまた新たな出会いがあったり、私自身の知識や経験を拡げることができたことは、かけがえのない予期せぬ大きな収穫でした。 デメリットといえば、メールアドレスをネット上に公開しているために、スパムメール、広告掲載や相互リンクの依頼、あるいは一部の読者のパソコンから送られてくるウイルスメールなど、日々相当数に及ぶ歓迎しないメールに辟易することくらいでしょうか。 昨年のクリスマスイブより毎日の更新を前提としたフォトブログサイト"CLIPS : day-to-day pics and words by nob"を新たに開設したのですが、そちらのブログサイトにおいては毎日、この"What's Cool!?"においても少なくとも数日に一度のページ更新を継続していくためには、必然的に実現できるだけの相応な日常ならびにビジネスライフを送ることが必要になります。現段階までにおいては私自身のメモやダイヤリーという本質的在り様であっても、不特定多数への公開を前提にする以上は最低基準の内容や体裁も必要ですから、それなりのけじめやハリといったようなリズムが自然に生まれてくるのです。 自らの内なる心の声との日々の対話を通して、己を知り相手を知ること、そして自らの人格ならびに言動の質を高めていこうとする、これこそが自らのプライベートサイト運営における最大のメリットであると、また第三者に対してアクションを投げかけていくプッシュ型メディアであるところのメールマガジンは、第三者あるいは社会との適切な距離をはかりつつ生産的な関係を構築していくことに大いに役立つものであると、私は自らの経験を通して確信しています。(続く) |
2004.04.12 |
出戻りラッシュVol.48 元々のリクルートを開業間際でキャンセルしてしまった女性の一件以来、出鼻を挫かれてしまった私達は、代わりに参画した私の学生時代からの友人の女性に当初から信頼を寄せていないわけではなかったのですが、現地法人の設立を先送りして開業準備室として活動を続けていました。 私ばかりでなくスタッフ全員に、完璧な基準とまで感じさせてきた開業準備だけに、その最終段階の根幹部分において思いもかけなかった躓(つまづ)きを見せたことで、全員に慎重意識が生じてしまっていたことは否めませんでした。 皮肉にも結果的には、その全員が抱いていた危惧感はそのまま現実のものとなってしまい、当初想定していた計画に照らして、その方向性にもズレが生じてきていましたし、予算計画も下方修正しつつあったところで、私の学生時代からの友人の彼女も完全に脱落してしまったのでした。 元々の事業予算計画自体が大きく膨らませたものでしたから大幅な下方修正をしたとしても、また若干の方向性の修正も、実際には何ら問題にもなりはしませんでした。したがって、元々のリクルートをキャンセルしてしまった女性との無意味な比較の基準になど陥ることなく、私の学生時代からの友人には彼女なりの方向性と方法論を確立していってもらうこと、そして何より最大の力となる継続こそを期待していたわけですし、そんな彼女を私ばかりでなく全員が全面的に受け入れていたのですが、結局ネガティブなスパイラルの奥底に陥ってしまっていた彼女に私達の気持ちが届くことはありませんでした。(続く) |
2004.04.07 |
■首相の靖国参拝は違憲と判断、賠償請求は棄却 福岡地裁 首相の靖国参拝をめぐる訴訟では、85年の中曽根首相(当時)の公式参拝について、91年1月の仙台高裁判決が「その目的は宗教的意義をもち、靖国神社の活動を援助する効果がある」などと述べ、初めて違憲判断を示した。92年7月の大阪高裁判決も「宗教的活動に当たる疑いが強く、憲法に違反する疑いがある」と指摘した。 小泉首相は01年8月に首相就任後初めて参拝。内閣総理大臣の肩書で記帳したが、公私の立場については、「総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」などと、あいまいな説明を繰り返してきた。 この参拝をめぐり、福岡を含む6地裁で起こされた訴訟で、原告側は、公的参拝だったことは明らかだとして、「参拝は政教分離を定めた憲法に違反しており、参拝によって信教の自由を侵害された」などと主張。国側は「私的な参拝だった」と反論していた。 今年2月の大阪地裁判決は、原告の請求を退けたものの、「参拝は小泉首相が内閣総理大臣の資格で行った」として、公的な性格の参拝だったと認定していた。 〔朝日新聞〕
「画期的な判決だ」−−。小泉純一郎首相の靖国参拝を「憲法違反」と明確に判断した7日の福岡地裁判決。法廷で骨子が読み上げられると、原告や全国から集まった支援者たちの間に衝撃的な喜びが広がった。アジア各国や一部戦没者遺族の反発をよそに、小泉首相は靖国参拝を疑問視する声に対して「おかしな人もいる」とまで発言。反対派の神経を逆なでし、参拝を正当化してきた。あいまいな政教分離に歯止めをかける司法判断を、原告らは大きな拍手と笑顔で受け入れた。 午前10時、福岡地裁301号法廷。亀川清長裁判長が冒頭「いずれも請求を棄却する」と主文を言い渡し、理由の朗読の省略を告げると、満席の傍聴者から不満の声が上がった。亀川裁判長は「静かにしなさい」とたしなめ、用意された判決骨子を読み始めると、再び静まり返る。「小泉首相の参拝は職務の執行に当たる」と指摘し、原告らは「実質勝訴」を理解した。「よし」と方々から声が上がり、違憲判断が示されると、拍手がわき起こった。 実質勝訴を受けて津留雅昭弁護団代表は、福岡県弁護士会で支持者約130人を前に判決文を約30分にわたり読み上げ説明。最後の「参拝は違憲である」との文言を強調すると、満場から拍手がわき起こった。 都留代表は「判決は我々の主張の大半を組み入れてくれた。これから、東京、千葉、沖縄で靖国参拝訴訟の判決が控えているが、今回の判決の影響は非常に大きい」と興奮気味。原告や支援者から大きな歓声と拍手がわいた。 また、原告団の郡島恒昭団長は「違憲の確認が私たちの目的だったので、完全勝利だ。過去の違憲訴訟判決では『違憲の疑い』だったのが、はっきりと憲法違反と認めてくれた。賠償は認められなかったが、違憲判決が出たら(原告側からは)控訴はしないということにしていたので、控訴もしない。本当にこれ以上のものはない」と声を震わせた。 原告団は今回の違憲判決を予想しておらず、事前に「勝訴」の垂れ幕を用意していなかった。木村真昭・原告団事務局員(53)は「これまでの靖国参拝訴訟の流れから、違憲とならないのではと思っていたので、準備をしなかった。まさかこんな結果が出るなんて」と興奮していた。 傍聴席で違憲判決を聞いた愛媛玉ぐし訴訟の安西賢二原告団長(56)は「裁判官の役務を十分に果たした立派な判決だ」と声を弾ませた。「国民は自治体の首長の違法行為なら住民訴訟を起こせるのに、首相については国家賠償訴訟の道しかないという法のひずみにも、今回の判決は言及した」と評価したうえで「これまでの裁判官が門前払いの形で形式的処理しかしてこなかったことと比べると大きな違いだ」と述べ、司法判断の流れが変わることに期待を寄せた。 また、被告訴訟団の安西賢二事務局長(56)は「国賠訴訟で勝てた意義は大きい。首相の参拝の違法性を問い続けてきた成果が出た。高裁に控訴中の四国の訴訟も、九州に続いて勝訴を勝ち取りたい」と喜びをかみしめながら話した。 〔毎日新聞〕
参拝が公的か私的かについては「個人的心情に基づいて参拝している。総理大臣である個人、小泉純一郎として(参拝している)。私人であり公人」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。 首相は、判決が原告の請求を退けたことを踏まえて「勝訴でしょ」と強調。歴代首相が毎年正月に三重県の伊勢神宮を参拝していることを念頭に「伊勢神宮(参拝)も違憲なのかどうか。なぜ伊勢は問題にならなくて、靖国だけ問題になるのか」と言明。A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社の歴史的経緯の違いを指摘する記者団の質問にも「伊勢の方が古い」と述べた。 〔産経新聞〕
福岡地裁が小泉純一郎首相の靖国神社参拝は違憲との判決を下したことについて、韓国の外交通商省当局者は7日「判決とは関係なく、日本が過去の問題に対する正しい認識を持つことが重要であり、首相の靖国神社参拝は中断されなければならない」と強調した。 違憲判決は聯合ニュースやKBSなどが速報、韓国マスコミの関心の高さを示した。 同当局者は「まだ詳しい内容を把握していないが、一審の判決と承知している。過去には、一審で違憲判決が出ても最高裁判所で棄却されたり、逆転した例が多いのが事実だ。もう少し見守る必要がある」と述べた。 また「首相の靖国神社参拝問題は日本国内の裁判結果に関係なく、韓国政府の立場は一貫している」と指摘し、「日韓関係の重要性を認識すれば、正しい歴史認識が必要であり、両国の未来志向的な関係のためには、日本の首相の靖国神社参拝は望ましくない」と述べた。(共同) 〔産経新聞〕
小泉純一郎首相の靖国神社参拝取りやめを強く求めてきた中国政府は、靖国参拝を違憲とした福岡地裁の7日の判決にまだ公式な反応を示していないが、参拝自粛への圧力が高まる「追い風」になるとして歓迎していることは間違いない。 中国外務省当局者は共同通信の問い合わせに対し「詳細な内容が知りたい」と驚きを持って語った。中国は判決に注目し、情報収集を急いでいる。国営通信、新華社も東京発の至急電で判決を速報、強い関心を示した。 中国が首相の参拝に反対するのは、日本のアジア侵略について「正しい歴史認識に欠ける」(李肇星外相)と映るからであり、判決が指摘するような「宗教活動」に当たるからではない。靖国神社にはA級戦犯がまつられており、被害国の国民感情として受け入れられない。(共同) 〔産経新聞〕
軍隊と認めることで、戦前の状態に戻るとの危惧(きぐ)があるのではとの質問に対し、首相は「それはない」と否定。そのうえで「平和のための戦力との認識を持ち続けないといけない」と語った。首相はまた、「憲法改正すれば、イラクで復興支援以外のこともするのか」との質問に、「憲法を改正しても戦争はしない」と述べた。
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