DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 
2003.10.10
■夢の明確化(business & life共通)

夢を明確化することは非常に大切である。

今の20代後半から、30代の大人たちは、決められた社会のレールさえのっていれば、一生が保証されていると信じて生きてきた。

あなたの周りにいる、そんな彼らに「あなたの夢は何ですか?」とたずねてみてみよう。 私の周りでは次のような回答が帰ってきた。

「夢?よくわからないなぁ」「無人島で暮らしたい」「死んだときに友達が笑顔で見送ってくれることかな」etc.

これらは、すでに結婚している人、子供がいる人、マイホームを購入した人の多くに見られる回答だ。 なぜこのような回答が帰ってくるのか?それはすでに、世間一般にみられる「人生のイベント」が終わってしまった人達だからだ。 20代で既に老後のイベントしか思いつかないのでは寂しすぎないだろうか。

もし、明確な夢を思い浮かべることが出来ないのであれば、今すぐ、じっくり考えることができる環境と時間を作ろう。 全ては夢を持つことから始まり、人生は夢によって創られるからだ。

前号では、オリエンテーションの話題の中で人生のシナリオ作成について少しだけ触れた。 明確な夢を持たなければ、最高の人生のシナリオを書くことは出来ない。 実際に成功している経営者の中には、「夢の明確化」と「人生のシナリオ作成」を行っている人が少なくない。

日本が誇る大リーガー・イチローは、小学校6年生の時に『僕の夢』という作文を書いているので紹介しよう。


『僕の夢』

僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。

そのためには中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。 活躍できるようになるためには練習が必要です。 僕は三才の時から練習を始めています。 三才から七才では半年くらいやっていましたが、三年生の時から今までは三百六十五日中三百六十日は激しい練習をやっています。

だから、一週間中で友達と遊べる時間は五、六時間です。 そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になると思います。 そして、その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。 ドラフト一位で契約金は一億円以上が目標です。 僕が自信のあるのは投手か打撃です。

去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。 そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン三本を打てました。 そして、全体を通した打率は五割八分三厘でした。 このように自分でも納得のいく成績でした。 そして、僕たちは一年間負け知らずで野球ができました。 だから、この調子でこれからもがんばります。 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。 とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。


イチロー少年はとても立派だ。

最初に結論がある。 明確な夢が記されている。 幼い子供のおぼろげな夢ではない。 自分の過去の実績に裏打ちされた確固たる自信に満ちた夢である。

そして驚くべきことは、たくさんの数字が出てくることだ。

経営者であれば、あらゆる目標は数値化して話さなければならない。 また、一流のビジネスマンも同じである。 例えば、業務報告会であなたの部下が「私の一日は今日もボチボチでした」と毎回こたえていたら辞めさせたくなるであろう。 本来ならば「今日は新規開拓が0件でした。 明日は今日よりも20件ほどテレアポの件数を増やしたいと思っています」というように、報告を受けるときは必ず結論から入り、具体的な数字で聞きたいはずだ。

日産自動車のカルロス・ゴーン氏は「数字で表現できない目標は、目標になりえない」と述べている。


明確な夢を持とう。 明確なビジョンを持とう。
自分の目標を数値化し、それらをクリアしていこう。

そして、夢の実現を応援してくれている人達に感謝しよう。

〔PRESIDENT VISION〕


2003.10.08

四十にして立てるか・・・Vol.37

多くの人達にとって、自らの内なる心の声に忠実に順って第三者の相対的価値基準に惑わされることなく自らの絶対的価値基準を確立していくことがなかなかに難しい業であることは、やはり否定できない現実です。

誤解や反論を畏れず断言してしまえば、それはただ最初の一歩を踏み出す勇気の有無だけの差でしかないのにもかかわらず、その一歩を実際に踏み出したあるいは踏み出そうとする人達と、そうでない躊躇あるいは否定をしてしまっている人達との間には、天と地ほどもの差が存在し、その格差は解消されるどころか日々増大していくことになります。

絶対的価値基準に順じるという、すべての言動が自らと周囲の第三者やひいては社会全体に相互理解と尊重の輪を拡げていくことで信頼や愛と平和につながっていく在り様と、相対的価値基準に縛られるという、すべての言動が自らにも周囲の第三者にもそして社会全体にも無知や曲解と否定の波紋を拡げてしまうことで不信や妬みと憎しみや争いにつながってしまう在り様との間には、善と悪と言ってしまっても過言ではないほどの雲泥の相違があるのです。(続く)


2003.10.07

四十にして立てるか・・・Vol.36

それにしても、悲しきかな世間には自らを偽って暮らす人達が圧倒的多数であることは否定しがたい事実であり、またそれが人と人との間の信頼と協調のバランスを崩し、様々な社会問題を生み出し続ける根源的要因であるという認識すらもほとんどされてはいないといっても過言ではありません。

それどころか、あたかも自らに正直に暮らすことが、まるで非道徳的な行為であると主張せんがばかりの勢いですし、実際にそう公言して憚らない人達も決して少なくはありません。

そんな自らの在り様の愚かしさに自らの内なる心の声は当然に気付いているにもかかわらず、そうした人達の多くは、自らに正直に暮らすあるいは暮らそうとする人達を疎外したり、偶発的に苦境に陥る様から逆説的に自らの誤った在り様を正当化しようとすらしてしまいがちです。

自らの在り様を評価するにあたって、周囲の第三者や世間一般の相対的価値基準によらず自らの絶対的価値基準によることは、自らのすべての言動に責任を持つということに等しいわけですが、そんな社会の最低限の良識すらないがしろにされつつも非難もされないような私達の現状の社会が、公正公平な秩序や平和で満たされるはずもありません。(続く)


2003.10.01


巡る巡る・・・ Vol.30

自らを救うこと、それは前号までの”かつての孤高のフォトグラファーとさすらいのブルースシンガー”においても言及した内容につながっていきますし、この”What's Cool!?”サイトにおける一貫したテーマの一つの柱でもあります。

私達一人一人がまずはそれぞれに個々を救おうとしていく過程で、取り巻く第三者や社会の在り様をあるがままに肯定的に許容することがまずは不可欠であることに気付くことができて、自らの価値基準に沿う存在とは積極的に深く、相容れない存在とはお互いに侵害し合わないという消極的に浅く関わることで、すべての存在の在り様を相互に尊重し合うことができれば、世界に真の平和をもたらすことができるでしょう。

そして、人は誰もそして世界も日々巡り巡るなかでも、私達一人一人が始まりと過程と完結における同一性と継続性を知ることができれば、いつどんな時にもどんな状況にあろうとも、自らを心から愛しむことができる真の幸福を手に入れることができるのです。