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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第14号■□■


≪CONSIDERATION≫
21世紀を生き抜く負けないビジネス・その3
〜何も始めないほうがいい。でも一度始めてしまったら、最後までやり通すしかない。
「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」
/続き

以下のEPISODEが長編にわたってしまいましたので、次号に順延とさせていただきます。


≪EPISODE≫
 ▼Failure
  >file#3-1
   〜出戻りラッシュ


このところ、かつての顧客で何らかの事情によりインターバルができてしまっていた先の数件から立て続けに再依頼がありました。

入れ替わりにこのところお付き合いをしていた顧客の数件がまた期せずしてインターバルに入りましたので、仕事全体のボリュームは変わらないままで、まるでお手玉のように案件だけがすっかりと入れ替わりました。

もちろん私が望んでいるわけでも、したがって決して意図しているわけでもないのですが、私の仕事の性格と案件推進にあたっての方針と方法論の関係からでしょうか、こうしたインターバルが生じるケースは珍しくはないどころかごく通常のケースであると言えます。そういう意味では、常にお手玉のように手掛ける案件が、次々と入れ替わりつつ戻ってくる状態であるといえます。まあそれにしても、これほど同時に入れ替わることは、さすがに初めての経験でしたが・・・。

私の仕事は、コンセプトデザイナーです。顧客とともに考えるプランナーとして新規案件を立案したり、顧客とともに行動し支援するアドバイザーとして案件の進行を管理したり、また顧客の案件の一部もしくは全体の実務をスタッフとして代行したり、あるいはそれらすべてを総合的に組織的に請け負うといったようなことをしています。

また、個人の独自な資産運用ノウハウを主として投融資の視点から考案したり、独立開業を目指す個人を様々な形で支援したり、職場や家庭内の様々な状況を改善したり問題点を解消するお手伝いをしたりと、法人顧客に限らず個人顧客からのあらゆる方面にわたる様々な依頼にも応じています。

私の仕事の性格と案件推進にあたっての方針と方法論・・・、といっても何も特別なことではない当たり前のことばかりなのですが、当たり前ではない状況にある人達だからこそ私の顧客になるわけですから、当たり前のことを当たり前にやることが実は最も難しいことになってしまうわけです。

つい先頃までしばらくの間、私は本質の正確な認識力とは天賦の才能であるのかそれとも後天的な能力であるのかということについて考え込んでしまっていました。結論としては、それは能力の一つに過ぎないという考えに落ち着いたのですが・・・。

もちろん才能というようなレベルで物事の本質やその時々の状況を労せずして見極める力を、そして自らの在り様と照らして今後進むべき方向性や方法論を的確に判断する力を有している人達も少なからず存在します。しかし、それは決して彼らにしかできないというものではなく、基本的には本人がその気になりさえすれば(実際にはこれが並大抵なことではないのですが・・・)、万人に可能な向上させていくことのできる能力の一つであると、私は考えています。

そんなジレンマに陥ってしまっていたのも、私が関わるほぼすべての顧客には、この物事の本質やその時々の状況を見極めるという力が欠落してしまっており、まずは顧客の個々の事業のこれまでの経緯と現状を分析し、利点を伸ばしていきながら問題点を克服していくことを最優先課題としていきながら将来への展望を導き出していくという、当初の将来への事業予算計画策定の段階で多くの顧客が脱落していってしまうからです。

執着心と自尊心の区別のできていない、それは一見似て対極的に非なるものなのですが、自尊心の持ち様を錯覚してしまっている人達は驚くほど世間には多いのです。

人は大抵の場合それまで努力を重ねてきた事柄や築き上げてきたものにどうしても固執してしまいがちです。そうした方法論の問題であればともかく、もともとの目的意識の持ち様を誤ってしまっているようなケースにおいては、執着心を捨て去り自らのあるいは取り巻く環境の本質を見極めて自らの進むべき方向性や方法論を修正していくことは非常に困難を極めるものです。

私の仕事は、客観的かつ多角的な観点から顧客の経緯と現状を分析し、ともに将来への展望を導き出していくことからスタートしていくわけですから、もはやそれは顧客とのバドルといっても過言ではないほどに過酷な、そしてまた長期にわたる作業となってしまうことが多いのです。この段階に何年もかかってしまうようなケースはもちろん、前述のように感情的になった顧客との話し合いが決裂してインターバルができてしまったり、時には完全に決裂して案件が立ち消えてしまうようなケースすらあります。

それでもこの最初の段階が、私の仕事のほとんど大部分であるといっても過言ではありませんし、この作業を妥協なく達成することさえできれば、案件の実質的スタート後は放置しておいても構わないほどに順調に推移していくものです。もちろん定期的に監査はしていきますが、実際には単なる形式と懇親的意味合いに過ぎません。したがって私は、この実質スタート前の顧客とのバトルに全身全霊を傾けて取り組むことを常としているのです。

物事の普遍的本質や日々変遷するその時々の状況を見極め、また同時に自らの夢や希望を指し示す内なる心の声とその時々の在り様に照らして、今後進むべき方向性や方法論を的確に判断して修正をしていくこと・・・、それは決して天賦の才能ではなく、その気になりさえすれば誰にでもできることである・・・、先頃までこの自明の事実が誤りなのではと自問自答を重ねていましたが、もうすっかりと霧が晴れました。

というのも、先頃までお付き会いをしていたクライアントが揃いも揃って超ド級レベル・・・、私としてはただ時間と手間を強いられるばかりで、何らの成果にもつなげられないどころか、日々費用の持ち出しばかりが累積していく悪循環から長く脱却できないまま、ただいたずらに時を過ごさざるをえないというストレスフルな状況が続いていたのでした。

それもこれもクライアントの実質評価の見誤りと目標設定ならびに支援計画の精度不足という私自身の判断の甘さが招いた結果ですから、ひたすら自己反省をしてやがてまた再開するであろう?これらクライアントとの今後の関係づくりに役立てていこうと考えています。

この5年間の案件の成否は連戦連勝が続いていましたから、若干の油断とそれによる見切りスタートが敗因であることはよく自覚しています。私の仕事は、客観的かつ多角的な観点から顧客の経緯と現状を分析し、ともに将来への展望を導き出していくことがスタートでありそして実質上のゴールでもあるにもかかわらず、ついつい先を急ぐクライアントに引き擦られてしまったのです。

私のほぼすべてのクライアント、換言すれば物事の普遍的本質や日々変遷するその時々の状況を把握できず、自らの夢や希望を指し示す内なる心の声とその時々の在り様に照らして今後進むべき方向性や方法論を的確に判断できない人達ということになるのですが、彼らに共通しているのはやみくもに先を急ごうとすることです。

何らか目の前の事柄にかかずりあってさえいれば心の平静が保てるという悪循環の繰り返しで、このサイクルから脱却していかない限りは、ストレスや悩みの対象が変わるだけのことですし、たとえ何らかの成果につなげていくことができたとしても充実感や満足感は決して得られるものではありません。人の価値観も取り巻く環境も千差万別、その人の幸せはその人にしか判らないのですから、じっくりと腰を落ち着けて自らが何をすれば楽しいのか、どこに行きたいのか、何を手に入れたいのか・・・、そうした自らを見つめ直すことから始めていくことがまずは第一歩なのです。

それにしても大多数の私の顧客は、皆当初は一様な反応を示します。様々な業界の様々なポジションや様々な年齢層、そして性別にかかわらずです。

社会や組織におけるポジションが高いほど、また年齢が高くなるほど、女性よりも男性のほうが、一般的にその傾向は強まるようですが、それも単にその程度の差だけの問題であって本質的な違いはありません。

何も特別なことではありません。これまでと現状における自らの在り様を正確に認識し、自らの本質的欲求に照らして今後の展望を見極めるだけのことなのですが、ほぼすべての私の顧客はこの段階をなかなか乗り越えることができないのです。本質的欲求を認識することができない、つまりは自らが何をどうしたいのか何を手に入れたいのかが判らない・・・、結局何もできず何も手に入れることができないサイクルから脱却できない彼等は、自らに向き合うことから逃避し続けつつもそれを決して認めようとしないのです。

私は大抵の場合、彼らにとっては彼等自身を映し出す鏡のような存在になりますから、彼等は私に対して徹底的に抵抗し続けることになります。私の側も無意味なヘジテーションはしませんので、依頼を受けて当分の間は相当に激しいバトルの連続ですし、その内容はどこかの寺か新興宗教団の集会かのような第三者には聞かせられないような怪しげな話題に終始することも珍しくはありません。

その段階を乗り越えてくれさえすれば、後はもう案件の成功は約束されたにも等しいのですが、私の側から誘導や譲歩といったようなアプローチをしていくことは意識的にしませんから、前述のようにしばらくのインターバルが空いてしまったり、私を出入り禁止にしてしまって長い没交渉期間ができてしまったり、時にはそのまま関係が絶たれてしまうようなケースも少なくはありません。

自らの本来あるべき在り様と進むべき方向性を、また同時に取り巻く第三者や環境の本来の在り様をも正確に認識許容することができ、自我と他者との最適な距離をはかりながら日々の目標を実現していくことのできる人達は、そもそも私はおろか誰の援助も必要とはしないものです。

私の顧客は、自らの絶対的価値基準を認識し確立していく力に乏しいからこそ第三者に依存従属してしまいがちなわけですし、私にも依頼をしてくるのです。

そんな顧客の依存心につけこんで労せずして大きな収益をあげるような事業がいまだ世間には横行していますし、私の仕事と同様あるいは類似するように誤解を受け易いビジネスコンサルティング業などは、その最たる例であるといえます。

私のところにも誤解をした個人事業主や企業からの問い合わせや依頼が入ってきますが、アプローチがあった以上は無視したり無下に断ってしまうわけにもいかず、大抵の場合最低一度の面談が必要となってしまいます。これに要する時間と手間もばかにはなりませんし、こういう誤解した相手であればあるほど、電話やメールではなかなか済まないのです。

これも誤解と反論を畏れずに断言してしまえば、そもそもこの世の中にどうしても第三者の力を借りなければできないようなことなどありはしないのです。

一部の例外を除いて平均的な能力と情熱を持ち合わせた人であれば、どんな仕事であっても三年も脇目も振らずに専心すればその道の専門家にはなれてしまいます。もちろんその道で突出した一流を極めることは、まったく別次元の生涯をかけても難しいことであるのは言うまでもありません。

自らに誇りを持つことはとても大切なことですが、この道何十年であるとか、元何とかチャンピオンあるいは何とか賞受賞者であるとか・・・、そうしたその人の現在の在り様とは直接の関係もないような相対的評価に因われることなく、自分自身も、また評価する第三者も、自らの尺度による絶対的評価に基づいて物事を判断していくようになれば、この世の中から見せかけやまやかしは自ずと淘汰排斥されていくことでしょう。

世間の大多数の人達は、自らの仕事の目標をお金を少しでも多く稼ぐことに置いています。そのこと自体は至極常識的なことであって決して間違いというわけではありませんが、それ以前にどんな仕事をどんな方法論で実践していくのかを、自らの絶対的価値基準に照らして決定するという本来第一義であるはずの最初のステップがスキップされてしまう本末転倒のケースがとみに見受けられます。

サラリーマンであればともかく、私の顧客にも多い自営業者という本来選択の自由に恵まれているはずの人達すらも、こんな仕事をこんな方法論で実践していけばより収益があがるという視点のみから事業計画を策定してしまいがちです。この一見ごく常識的な行為が、実は多くの人達が陥り易くも抜け出し難い最大の落とし穴であるといえます。

私の周囲はもちろんのこと世間には、この落とし穴に陥ってしまったまま生涯脱却できないような人達がまさに満ち満ちていると言えます。

一度始めてしまったこと、特に仕事というものは、単独で実践しているのであればともかくとしても、共同協力関係や雇用関係を前提とするような大抵の場合には、途中で止めてしまうことは非常に難しいでしょう。

またそれまでの日々の経緯と蓄積により築き上げてきた仕事と生活の基盤を解消したりすることなど、多くの場合扶養家族の存在など背負い込んでしまった状況もあることでしょうし、ほぼ不可能であると言っても過言ではないほどに多大な勇気と労力を要することになります。

そうした人達は、内なる心の声に耳を閉ざし、自らを騙し騙して生きていく他はありません。

そんな自分自身の納得の問題だけで収まっているのであればまだしも、私の顧客にも多く見受けられるタイプですが、自らの絶対的価値基準に照らして夢や自我を実現しようと努力を続けるような人達を、疎外したり否定したりさらには妨害してしまったりするような輩達は、実に始末に負えない困り果てた存在であると言わざるをえません。

第15号▼Failure>file#3-2
   〜出戻りラッシュ・その2
                              に続く

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