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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Life!?-

バックナンバー 0022

●○●第22号●○●

代理母斡旋のコミッション

たまたまTVのワイドショーを見ていたら、某プロレスラーの女優の妻が彼の遺伝子を残したいと、アメリカで代理母による人工出産をする云々というニュースを放送していました。

こうした行為自体についても、様々思うところがあるのですが、それはいずれかの機会に譲るとして、私が驚いたのはそれに要する費用の総額約1000万円の内訳についてです。

一般的な費用として番組が報じていたのですが、医療機関に支払う費用約500万円、代理母本人に支払う報酬として約200万円というのに対して、その代理母を斡旋する業者への手数料が約300万円というのです。根本的に間違っていると感じてしまうのは、私だけなのでしょうか。

もちろんそれを事業として成立させるためのその業者の様々な事情もそれなりに推察はできますし、こうした仕組みは私達の経済社会に広く蔓延している一般的な現象であることもよく承知はしています。それでも改めてこうした数字を見せ付けられると、あまりの問題の根深さと深刻さに、その300という数字が頭から離れなくなってしまいました。

自分達では何もしないのにとまでは言いません。それにしても斡旋業者が実際に果たす役割やその労働のボリュームから判断して、たとえ何らか問題が発生した際に果たす責任の度合いを考慮したとしても、やはり報酬が高額すぎると、私には思えてなりません。

普段多くの人達がごく当然の常識として認識させられてしまっている現状の経済構造は、経済成長の過程においては表面化しなかったものの、昨今様々な深刻な問題点が露呈してきているように、本来あるべき永続性が期待できる自然な形態からすれば、はなはだ歪(いびつ)で不自然な構造を成していることに、もうそろそろ私達の多くが気付いてもよい頃かと思います。

頭が大きく重すぎて、もはや身体が支えきれずに倒れ込んでしまう寸前にあるのが、現状の私達の経済社会の構造です。大きすぎる政府や企業の管理職の規模を縮小する、あるいは要する経費のバランスを逆転させて、数のうえでは少数派であるにもかかわらず、彼らが収益の大きな比重を独占している現状を打破していくことこそが、昨今求められている構造改革そのものなのです。

この代理母斡旋ビジネスの在り様には、現状の私達の経済社会構造が象徴されています。

医療機関と斡旋業者そして代理母本人というトライアングルを考えるに、医療機関への費用と代理母本人への報酬金額は、ここではやむおえずそのままと判断するとして、クライアントである依頼者の意識の持ち方ーつで、斡旋業者への報酬金額など何とでもなっていくのではないでしょうか。いずれにせよ代理母本人への報酬よりも50%も高額な業者への費用などは、私には馬鹿げているとしか思えません。ビジネスの常識から判断して、代理母本人への報酬金額の25%程度が適性、マキシマム50%という基準がせいぜいといったところなのではないかと思います。

しかし現実には、この代理母斡旋ビジネスに限らず、このような本末転倒の例は世間にはごく普通に横行しているのですし、支払うクライアントとしての立場でこうした歪みを是正していくことから、つまり私達が健全かつ適正な消費を心掛けていくこと、そしてひいては自らの商業活動を考えていくことからしか、経済構造改革など進展していくはずがないと私は思うのです。

不適切な業者は、依頼さえしなければ自然陶汰されていくのです。まずは公序良俗に反する存在を認めない良識、また供給者の選択責任、さらに万ー何らかの問題が発生した際の解決責任といった相応のリスクを負う勇気が必要です。

人がニ人寄れば、そこには上下関係が生まれます。利用する者とされる者です。さらに大勢人が集まれば、少数の利用する側のグループと大多数の利用される側のグループに別れるのは、万国共通世の常なのです。

利用する側は、自分達の都合の良いように社会のルールや仕組みを創り上げます。利用される側は、ただ盲目的に、あるいは疑問や不満を抱きつつも、良心や勇気を持てないで黙って利用する側の論理に従がう結果になります。そのようにして現状の不公平な偏よった社会が出来上がるのです。

しかし、歪は補正されていくのが自然な存在の摂理ですし、21世紀の初頭は利用され続けた側の反逆の時代となっていくでしょう。私達の国においては、まだまだ利用する側の危機意識から生じる防衛の範囲を出ていませんが、世界的には利用される側からの反逆は既に始まっているのです。

貧富の格差を根源とするあらゆるネガティブなスパイラルから生み出されたニューヨーク同時多発テロ、その後も当事国のアメリカはもちろん先進諸国は、さらなるテロの脅威に怯え続けています。

あるいはまた貧困問題に宗教問題という要素を加えて日々泥沼化していくパレスチナ問題など、世界には様々な深刻な社会問題が蔓延しています。

ビンラディン率いるグループが引き起こしたあの凄惨な事件やパレスチナのごく一般の少年少女達による自爆事件・・・、それらをテロリズムと呼び、アメリカやイスラエルによる、そして第三国である先進諸国すらも参画しての空爆や軍事制圧などの報復行動を正当化すること、それらは先進諸国の愚か極まりない奢りであり、またこうした事件を引き起こす根源的要因であるところの利己的搾取発想そのものであるといえます。

先進諸国にテロリズムと定義されるところの彼らの反逆行為は、彼らにとってはまさに戦争以外の何物でもないのです。

これまでの歴史の過程において搾取され続け、貧困を極め、明日への夢も希望も描けない世界の大多数であるところの社会的弱者の反逆は、人としての最低限度の生活の保障、さらに自立と成長への機会を与えていくという真のグローバリズムへの私たち少数の社会的強者の側からの発想の転換、そして実質的な行動を起こしていくことなくしては、今後ますます世界のいたるところで日々増長拡大していくことでしょう。

今日の食事にも事欠き、そして明日の命もしれないような切迫した日々を過ごす人々にとっては、この世界は失望と憎悪の、そしてひいては破壊の対象でしかないのはごく当然のことだと私は思うのです。そうした日々の現実に押し潰されそうな人々が、未来への夢や希望を描き、それに向って行動を起こしていけないことをどうして責めることができるでしょうか。教育の機会も与えられず、読み書きもおぼつかないような人々が、何を考えそして何ができるでしょうか。

そうした根源的な世界の現実に私達が目を向け、本質的な視点においては、優越的に相手を見下したような施しではなく、対等な視点と立場での支援や協力という形で、主体的かつ積極的に手を差し伸べていくことなくして、同じ人間同士の争いから殺戮へのスパイラルは決して解消できようはずもないのです。

こうした先進諸国と発展途上諸国の間での強者と弱者の関係、換言すれば搾取する側とされる側の関係は、そのまま国と国の、国と国民の、政府と地方自治体の、組織と従属する個人の、家族における扶養する側とされる側の関係につながっていきます。つまり、基準と程度の差こそあれども、人が二人以上寄れば、そこには大低の場合利用する者とされる者という単純明瞭な力のバランスがどうしても生まれてしまいがちです。

おそらくこれは、人間の本能的な働きによるものなのでしょうが、こうしたある意味動物的習性から脱却して、人が人として自然界において唯ー人に可能足らしめられた対等な立場でお互いを尊重し合う関係づくりを実現させていくためには、やはり相応な思想と教育が不可欠なのです。

本能的欲求に打ち克っていくこと、それは並大低に容易いものではありません。また私達の社会生活上の時代錯誤的な常識や慣習といったような時として強大な制約となる圧力に屈することなく、自らの在り様と言動に責任を持ちつつも個性を主張し、公平かつ公正な視点で社会的役割を果たしていくこと、これは人生の目的といってもよいほどなかなかに困難なものです。

21世紀においては、日本をはじめとする世界の先進諸国の自由競争資本主義社会は、成長の段階から成熟の段階に、また競争から協調の段階に入ります。これまでの成長と競争の原動力となった様々な政治や経済の論理や手法は、もはやこれからの成熟と協調のための原理にはそぐわないものですから、相応な発想の転換と新たな仕組みづくりが必要とされてもう久しいにもかかわらず、まだ旧来の延長上の路線からほとんど脱却できてはいないのが現状です。

現状において私達がこれまで辿ってきた方向性や手法を必要としているのは、世界の発展途上諸国です。何よりも最優先しての水道・ガス・電気といったライフラインから、そして教育・通信・金融といったような文化的経済的インフラの段階的整備などに、先進諸国が協調し合ってODAや長期無利子借款などの形の供与をしていくことがまずは第一でしょう。

長期的段階的復興発展計画を当事国とー緒に立案するプリミティブな基準からの積極的参画型支援と協調をしていくような姿勢こそが必要でしょうし、実際にそうした行動を起こしていくためには、先進諸国間の連携を調整する以前に、まずはそれぞれの国内の気運を高め、そうした実質的な支援にあたる組織や人材の準備が必要でしょう。

しかし残念ながら、私達の国に限ったことではなく他の先進諸国においても、まだそうした気運どころか確固たる発想の形成すらもおぼついていないのが現状です。

世界各地での様々なボランティア活動やNGOなどを初めとする民間主導型の支援団体の台頭など、地道な現地に根ざした活動も着実に成果につながってはきているものの、発展途上諸国の切迫した事態の深刻さと範囲の大きさの前にはまさに焼け石に水の状態です。

実効性のある相応な成果につなげていくためには、相応の活動の規模と継続性が必要です。官民ー体となって役割を分担し合い、まずは国政としての位置付けに支援活動を引き上げ、さらに活動の実情を広く一般に公開をしていくことが先決でしょう。

欧米においては、政府と民間支援団体の連携が日本に比較して相当にとれているようですから、そうした点は見習っていきたいものですし、何はともあれ日本のODA拠出額は何年にもわたって世界一を誇っているわけですから、それを有効に活用していくためにも、また被拠出当事国はもちろんのこと国際社会における信頼や評価につなげていくためにも、官民協力体制の構築がまずは早期かつ容易に実現可能な最優先課題であると思います。(続く)


☆本コラムは、2002年3月に執筆を開始したものです。


≪EPISODE≫

▼Series (2)  〜日常の風景〜
File #2-15
自分を信じる人だけが救われる Vol.15
/四十にして立てるか・・・その4


→上記が長編に及びましたので、エピソードは次号に順延させていただきます。




≪号外≫
サイト開設3周年記念コラム
あっと言う間にこのサイト&メールマガジンもはや3周年、されど未だ・・・/続き
("What's Cool Business!?" & "What's Cool Life!?"共通)


本来今号においては、前号に引き続き、「サイト開設3周年記念コラム/あっと言う間にこのサイト&メールマガジンもはや3周年、されど未だ・・・」の続編掲載を予定いたしておりましたが、はなはだ勝手ながら次号以降に順延させていただきます。悪しからずご了承くださいませ。


編集後記/いよいよ収拾がつかなくなりつつあります

このサイトの運営とメールマガジン2誌の発刊を同時に開始して以来、はや4年近くになります。当初から発行周期の長かったメールマガジンでしたが、刊行インターバルは日々さらに開きつつ、配信スタンド数多のメールマガジンの中でも恐らく最長の強制廃刊すれすれの状況、daily short columnsを中心としたサイト更新も、このところすっかりと滞ってしまっています。

書きかけのままの各種連載コラムも相当数に昇ってしまっているばかりか、未だ脱却できないプロローグを締めくくるために必要と計画して久しいいくつかのテーマへの言及についても、まったく手すら付けられないでいます。

ここ数年の実情に即したコンテンツの追加やリニューアルを必要としているこのサイト以外の各種自営ビジネスサイトの更新も放置されて久しいばかりか、依頼を受けた案件としての顧客サイトすらも手付かずのままという異常事態に陥ってしまっています。

もう納期を契約に含めない、明日できることは今日やらないという冗談とも本気とも判らないスタイルを公言して久しいものの、さすがに私も罪の意識に苛(さいな)まれて本気で焦り始めている今日この頃です。

そうはいってもやるべきことはやらざるをえず、可能な限りストレスを溜めることなく、目の前のできることを一つ一つ片付けていく他はないわけで、こんな愚痴を書き連ねている余裕があるのなら、とっととやれよという話ですよね。

昨年の師走から特に多忙を極めていたうえに、新規案件の同時スタート、普段あまり依頼のない種類の業務依頼、度重なる地方出張、データを消失する危機に見舞われた深刻な日常メインPCの長期にわたるトラブル、個人的な友人筋のトラブルシュートなどと、時間と手間を要する用件が一時にどっと重なってしまい、まさに四苦八苦の状況が続いていました。

いくつかの案件に目処が立ち、やや日々に余裕が生まれつつあるので、今月でこのサイトの更新とメールマガジンの発行を追い付けたいと思います。

今回は、時々メールを下さる常連の方々の他にも、初めてのサイトリピーターやメールマガジンの読者の方々からも叱咤激励をいただきました。まずはこの場にて、お詫びかたがたお礼を申し上げます。返信は遅れながらも必ずさせていただきます。

 

CoolShot #22/ 2005.02.28
Title / Floating Broken Clouds

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