DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 

2002.08.31


巡る巡る・・・ Vol.18

天涯孤独の人が、ある日愛する人に出会い、結ばれてたくさんの子供をつくり、その 子供達がまたたくさんの子供をつくり、やがて大家族もできてしまいます。また、ひ っそりと身を寄せ合って暮らす夫婦が、愛し合い尊重し合えるか、あるいは憎しみ合 うのか、ともに年老いるまで連れ添えるのか、それとも別れてしまうのか・・・。

あるいは、才能と能力に満ち溢れた人材も、見出しチャンスを与えてくれる人物の有 無次第です。そもそも大抵の場合本質的な意味で才能や能力などが問われるのは、それぞれ の世界でー流と評価されるような相応の位置と環境に身を置けるようになった後のことであって、それまでの過程においては、本人の努力の度合いよりも理解者や協力者 といった周囲の第三者の影響によるところが大きいものです。

ほぼ生涯にわたるような長期のローンを組んで、やっとの思いでマイホ−ムを手に入 れたとしても、欠陥マンションあるいは住宅であったとしたら、あるいは災害や人災 ましてや近隣の火災に巻き込まれるなど他人の過失によるもので保険にも加入してい なかったとしたら・・・、こんな例は何ら珍しい話ではありません。(続く)


2002.08.22

巡る巡る・・・ Vol.17

現実的には、人生とは人と人との出会いであるといっても過言ではありません。もちろんそれがすべてというわけではありませんが、人の一生は第三者からの影響によってほぼ決定づけられてしまいます。

この世に生を受ける際に、人は親をはじめ家族を選ぶことはできません。幼少期の環境は、その人のその後の人生に大きく作用します。孤児であったり、両親の離婚や死別 、子供同士のいじめ、家族の経済状況など、許容力や順応力に乏しい幼少期には、人格や性格の形成上大きな影響を与えることになります。

もちろん幼少期に限ったことではありません。例えば、受験戦争を勝ち抜き一流大学から官庁や大手企業に就職してエリートコースを歩んでいたとしても、たった一人の相容れない直属の上司の存在だけで、その人の将来は大きく制限されてしまいます。たった一人の異性を愛してしまうだけでも、またその後の人生は大きく変わっていきます。若くして例えば中高生のうちに子供を持つ身となるやもしれませんし、国際結婚によりまったく文化や習慣の異なる外国でその後の人生を過ごすこととなるやもしれません。(続く)


2002.08.13

巡る巡る・・・ Vol.16

いずれにせよ、自らすら愛せる愛せないで右往左往する人達ばかりが蔓延する昨今の時世においては、私達がお互いを尊重し合い協調し合って平穏で快適な社会生活を営んでいくことすらもなかなかに困難なことです。ましてや心から愛し愛され、深い信頼で結ばれた真の友人や人生の伴侶に出会い、かけがえのない関係を生涯にわたって育んでいくことは至難の技であるといえます。

お互いに相入れない存在として近づかない侵害し合わないという人と人との最低限の関係が維持できていればよいのですが、第三者との比較の基準においてしか、あるいは第三者を否定することでしか自らを定義することができないような人達も世間には多いのですから、そうした種類の人達から自らを護る防衛的な対策をとっておくことも重要になります。(続く)


2002.08.12

巡る巡る・・・ Vol.15

あるがままの自分自身を許容し愛しむためには、自らの在り様や言動に対して納得ができ、そして誇りが持てるようになることが不可欠です。内なる心の声に背を向けていくら自らを偽ろうとも、決して良心の呵責からは逃れることはできません。一時的にならばともかくも、精神的に異常をきたしたりでもしない限りは、長い時の流れの中ではその自らへの呪縛に耐えられるものではありません。そもそも、自らを偽ってしまうほど意思薄弱な人達にとってはなおさらのことです。

また、第三者による客体的価値基準に左右されることなく、自らの絶対的価値基準による自らへの評価が第一義とはいえども、過剰なまでの自意識やネガティブな発想、あるいは抑制のきかない様々な欲望などに影響され、自らへの正当な評価を下すことができなくなるケースには注意を払わねばなりません。自尊心と自意識過剰は、あるいは自らに正直になることと甘やかすこととは、似て対極的に非なるものなのです。(続く)


2002.08.04

ささやかなプライド Vol.27

所詮は人生、されど人生、思い悩むほどたいしたことなどありはしません。だからこそまた価値があるのですし、その価値は自分次第でどんどん高めていくこともできます。

いずれにせよ、自らの存在を超えて価値のある存在など、この宇宙のどこにも存在するはずもないのですし、宇宙は私達一人一人を中心にしてその廻りを廻り廻っているのです。


2002.08.03

ささやかなプライド Vol.26

もはや体制や第三者に依存従属して与えられることを待っているような時代ではありません。主体的に考え言動をしていくささやかなフライドの蓄積により確立していく自らの尊厳をベースに、第三者の尊厳をも許容し、公正かつ公平な新しい社会の創造に積極的に参画していくことこそ、この時代に生きる私達一人一人に与えられた権利であると同時に課せられた義務でもあるのです。

常識に束縛されることなく、すべての存在をあるがままに受け入れ、第三者の評価に左右されずに自らの絶対的価値基準にて判断し言動していくこと、そんな自らに限りなく束縛される本当の自由を謳歌していく喜びの大きさを一人でも多くの人に知ってもらえたらと心から思います。(続く)


2002.08.02

ささやかなプライド Vol.25

こうした陥リ易い過ちを回避するためには、私たち一人一人はその在り様にかかわらず、存在しているただそれだけでかけがえのない唯一無二のものであることを知り、第三者による評価や社会的な地位 や実績などという客体的価値基準に左右されない、自らが好きか嫌いか、あるいは自らの尺度により納得ができるかどうかなどといった絶対的価値基準によって自らの責任によって判断し、言動を律して自らの在り様を創りあげていくことが重要です。

そして二十一世紀は、成長から成熟の段階へ、そして組織偏重から個人尊重へ、そして競争から協調の時代への転換期を迎えており、そして私達の社会は現在これまでの延長上の方法論から脱却して、発想の転換に基づく新たな仕組みづくりを要求しています。(続く)


2002.08.01

ささやかなプライド Vol.24

私達の日常生活における習慣や常識の不確かさや危うさについて、そしてまた変遷し続けるそれらに順応していきつつも、本来あるべき方向性に軌道修正をしていくためには、私達個人一人一人の絶対的価値基準の総合によって認識と判断をしていくことの重要性について、さらにその絶対的価値基準の確立と維持には自らの尊厳イコールささやかなプライドの蓄積が本質的かつ根源的な必要条件であることについて、こうして3号にわたって論述してきました。

ささやかな自らのプライドを蓄積していく過程において陥り易い過ちは、本質にそぐわない過剰な自意識に囚われてしまうこと、もちろん逆に正当に自らを評価できず不必要にネガティブな認識に囚われてしまう場合もあります。(続く)