DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 
2003.06.30B
ある高校教師のコラムより/沈黙(business & life共通)

沈黙とは単に「意見がない」、「考えがない」わけではありません。
発言しないことを発言しているのです。
従って沈黙されたほうは、相手の沈黙の意味を考える必要があります。なぜ相手は沈黙の発言をしているのか。
しかし、教師といえども生徒の沈黙の意味を全てわかることなどありえません。そのときどうするのか。

私は、素直に頭を下げることにしています。
相手の沈黙に、こちらも沈黙で返していては、二人の関係はねじれてしまいます。そのまま放置すると、ねじれた関係は二度と修復できなくなるでしょう。

相手が自分にとって、どうでもいい存在ならそれでも構いませんが、そうでない場合はたとえ自分に否がないと思っていても、自分から頭を下げ、相手に沈黙の意味を教えてもらいましょう。
教師だからと生徒を見下ろす態度をとってはいけないのと同じように、仮に自分が有利な立場で話せる相手であっても、下手に出て頭を下げることが大切です。
なぜならあなたが大切に思う相手なら、きっとそこには誤解があり、相手もねじれた関係に戸惑っているからです。

沈黙の発言をしている相手が、自分から沈黙をやめることはないと思ったほうがいいでしょう。
なぜなら最初に言ったように、沈黙することでその人物は発言をしているので、沈黙をやめてしまっては、その発言が意味を為さなくなるからです。あなたに沈黙の意味を察して欲しいという気持ちがあるわけですから、途中で沈黙をやめるわけにはいかないのです。
もし途中で沈黙をやめてあなたに話し掛けてきた場合、相手はあなたに大きく失望しているに違いありません。

相手の気持ちを察するのは非常に難しいことなので、あなたがなぜ相手が沈黙しているのかわからなくても、相手はさほど抵抗を感じないでしょう。しかし相手が沈黙していることさえあなたが気づかなかったら、もはや関係の修復は不可能かもしれません。
わからないことは問題ではありませんが、気づいてもらえないことは、相手を大きく傷つけます。
この世でもっとも残酷なのは、気づかないことなのです。
生徒の無言の発言に気づいてあげること。
それこそが、教師という職業でもっとも大事なことだと思います。
いや、それは教師に限らず、どんな人間にも言えることでしょう。

あなたの周りで沈黙している人はいませんか?
思い当たる人は、すぐに連絡してみてください。
沈黙の理由がわからないから連絡しにくい?
わからなければ聞けばいいのです。
プライドなんか捨てましょう。
嫌われたのかな、なんて臆病にならないで。
相手はあなたの連絡を待っています。
もし相手につれない態度をとられたら、そのとき初めてその人物と疎遠になればいいのです。
このまま放っておいて、なんだかわからないまま疎遠になるよりマシだと思いませんか?

大人とは包容力のある人のことです。
「気づかなくてごめんね」の一言が言えれば、あなたは一歩大人になります。

〔カスタムUさん〕


2003.06.30

かつての孤高のフォトグラファーVol.5

しかし、受賞後の彼は、いわばその将来を約束されたような商業写真家としての道を歩まず、それまでの彼の路線の延長上にある独自の写真作家としての道を選択したのです。その作風だけでなく、ライフスタイルにおいても、またも彼は期せずして私の理想を代わって具現化してみせてくれたのでした。

そんなスタイルで生計を立てることができている先人を少なくとも私は知りませんでしたし、大きな勇気を持っての決断であったのか、あるいは生活の不安などまったくないほど富裕な家庭に育ったのかなど、私には事情は知る由もありませんが、ともかく彼は写真集を出版したり、写真展を開いてはオリジナルプリントを販売するといったような方向性に進み、その後も時折発表する作品で私に静かな感動を与えてくれつつ、これまでそのスタイルを護り続けてきていたのです。ところが・・・です。

先日また久しぶりに彼の新しい写真展の告知を見つけたので、見落してはと予定を調整していそいそと出かけていったのです。(続く)


2003.06.28

かつての孤高のフォトグラファーVol.4

私がそれほどまでに心酔し影響しきりの彼の作品が、当時特に仲間内でも教授達にも何ら特別な評価を受けないでいることが、私にはまったく理解できないところだったのですが、必然的に彼が一躍脚光を浴びる時が訪れました。

それは写真の業界において権威の高い二つのコンテストで、まだ在学中であったにもかかわらず、双方においてもグランプリを獲得したのでした。いずれのコンテストも、新人作家にとっての登竜門として位置付けられているばかりでなく、中堅のプロ作家達の多くも常に照準を合わせているような、文学の世界でいえば芥川賞と直木賞に相当する快挙といえます。

この二つのコンテストから頭角を現してその後活躍を続けるフォトグラファー達は枚挙にいとまがありませんし、彼の名前と独特な作風もこれらの受賞により業界に広く知れ渡りました。(続く)


2003.06.27

かつての孤高のフォトグラファーVol.3

彼の存在と彼が創りだす映像の世界は、芸術的あるいは商業的評価の高い様々な作家達のどんな映像よりも、私の心には常に強く響きました。

もう彼の在り様に、それも彼自身はまったく預かり知らないところで私が勝手に打ちのめされてしまった時点で、私には本当はもう既に判ってはいたことだったのですが、写真の世界で身を立てていくことにいくつかの段階を踏んでいきつつふんぎりを付けることができるまでに、それからまた何年もの時を過ごしてしまうことになりました。

何と言っても彼の存在は私にとっては圧倒的なものでしたし、さらに別の二人の仲間の存在も手伝って、一人は技術的にはともかくその感性にはただ脱帽という女性、そしてもう一人は感性はオーソドックスながらも技術はピカイチという男性なのですが、それまで何より自らこそがナンバーワン&オンリーワンの存在となることを第一義としていた私にとっては、方針と方法論を転換させるに足りるだけの条件が彼らの存在によってもう揃ってしまっていたのでした。(続く)


2003.06.26

さすらいのブルースシンガーVol.6

だからという訳でもなく、私自身の感性と判断の基準に基づいて、彼のパフォーマンスに単純に感動し楽しんだコンサートから帰りの道すがら、彼女とすっかりと良い気分を共有しつつ、彼女のさすらいのブルースシンガーにまつわる昔話を興味深く聞きながら、普段であれば少々厳しい距離かと思うのですが、苦もなく歩き通してしまいました。

15年前当時に、既に妻子があり、日々困窮した生活であっても温かい家庭で、奥さんは家計を衣類の縫製の仕事で支え、彼本人もどんなに前夜に呑めや唄えやしようとも、翌朝にはきっちりと新聞配達を長年こなしていたということ。

ほとんど客と店員の区別がないような、店長は雇われの身でありながら、店にいる誰かれとなくに店を任せて他所に呑みに出かけてしまうような大雑把な米軍基地の街の伝説のバーで、毎夜のようなフリーセッションの楽しさ、自ずと集まってくる音楽仲間達、中でもルックスもその音楽性もさすらいのブルースシンガーとは好対照ながら広く人受けのするとあるミュージシャンとのセッションは毎回鳥肌が立つほどにご機嫌で、二人が店に居合わせると、噂が拡がってどこからともなく近所から人がぞろぞろ集まって店が一杯になってしまうといったような、なるほどと素直にうなずけてしまういくつかのエピソードを、彼女が話して聞かせてくれたのでした。(続く)


2003.06.25

さすらいのブルースシンガーVol.5

私の仕事仲間の彼女がさすらいのブルースシンガーに出会ったのは既に15年以上も前のことですし、その時にはもうすでに彼は売れないながらもやはり15年からのキャリアのあるベテランシンガーであったわけですから、トータルすれば30年からのキャリアになるわけです。

15年前当時に、もう売れないシンガーとしてのイメージが定着してしまっていたわけですし、仲間内にはああしたらいいこうしたら売れるといったような無責任な助言、あるいは横槍や中傷をする連中も多かったらしいのですが、彼はまったくそれらを意に介さず動じず、ただ自らのスタイルを淡々と不器用に貫いていたところが、私の仕事仲間の彼女の心を打ったようでした。

余談ですが、この彼女の物事の本質を見極める直感的判断力というある種特別な才能には、私は常日頃から全幅の信頼を置いているのです。何ら論理的あるいは実証的な根拠があるわけでもないにもかかわらず、彼女が直感的に良いと判断するものは結局良いことが、たとえ長い紆余曲折があろうとも最終的には明らかとなってきましたし、その逆も然り、彼女がダメと判断するものは結局のところこれまでいつもだめなのです。そういう意味でも、さすらいブルースシンガーの在り様には、彼女が良しと判断し長く心に留め置くだけの何かがあるのでしょう。(続く)


2003.06.23

かつての孤高のフォトグラファーVol.2

悔しいのやら腹立たしいのやら悲しいのやら、捉えどころのない様々な感情が交錯して、私は私自身を支えることができないで、その場から逃れるように誰もいない校舎の屋上の給水塔の裏に身を置いて、ただ膝を抱え込んでしまいました。

自らが具現化を目指して日々あらゆる努力を重ねてきた傍らで、それを第三者があっさりとそして鮮やかに達成している様を見せ付けられて、私は進むべき方向性や道筋を見失ってしまったのです。

私はそれ以降、彼との一方的な出会いをきっかけとして(彼は私の存在を知りませんから)、大学を中退し、結局写真の業界からもドロップアウトしてしまうことになりました。つまるところ、私が写真の世界でやりたかったことは、ほぼそれに近い形で彼が代わりに実践してくれたのでした。

芸術祭で作品を通して彼の存在を初めて知って以来、私は彼の動向を観察するのが日常の一つとなったのですが、その後折々に彼の作品に接するにつれ、私は逆立ちしても彼の才能や実力の前には足元にも及ばないという、当時としては受け入れがたい事実に打ちのめされていきました。

にもかかわらず、彼の評価は校内ではまったくといってよいほどありませんでしたし、彼は近付きがたい暗く冷たい性格の人物として周囲に捉えられていたようで、事実私も彼の表情の変化を見たこともなければ、話す声を聞いたことすらありませんでした。(続く)


2003.06.22

かつての孤高のフォトグラファー

まだ私がフォトグラファーを志して大学に通っていた頃、一年先輩にある孤高のフォトグラファーがいました。

彼は仲間と群れることもなく、物静かな少々インテリっぽい雰囲気、淡々とした存在感を漂わせた人物で、私は折に触れて目にする彼の写真作品に深く傾倒していったのでした。

彼とは直接言葉を交わしたことがあるわけでもなく、彼のほうでは私の存在をまったく知らないと思います。

私が最初に彼の存在を知ったのは、毎年大学で開かれる芸術祭でたまたま彼の作品を目にした時のことでした。

学生の全員が何らかの形で作品を出展するのですが、一通り学年を超えてすべての作品を見てまわっていた時に初めて目にした彼の作品に、その場で私は釘付けになってしまったのでした。

まさに私自身の心象風景を淡い擦りガラスを通して晒されてしまったかのような、つまり私自身の思索と感性をすっぽりと盗みとられてしまったかのような冷たく強い衝撃を感じ、それらを自ら追い求め具現化するためのあらゆる試行錯誤を重ねていた私の当時の日々を虚無にしてしまうほどに、それらは完成度の高い作品でした。(続く)


2003.06.21

さすらいのブルースシンガーVol.4

さすらいのブルースシンガー、まさに恐るべしです。

たった一本のアコースティックギターとパーカッションのみの演奏があれだけの重厚感と拡がりを表現し、そして彼の圧倒的な存在のストレートな表現で観客を凌駕してしまうだけのボーカル・・・、私歌えば物凄いんですといったような、外見とパフォーマンスのギャップの大きさがまた終わってみると一段とカッコよく感じたのでした。

率直なところ私の感性には、彼の音楽性や雰囲気はあまり馴染まない一致するものではなかったのですが、そんな些細なことは吹き飛ばしてしまうほどに彼のパフォーマンスのクオリティーは絶対的に高かったのです。

こんな人がさほど世に広く知られることもなく埋もれているのだという事実も、彼の表裏のない明るく楽しい気さくな在り様を通して見れば、夢や希望そして可能性といったこととしてポジティブに感じさせられてしまいました。

いずれにせよ、私に限らずその場にいた観客達は、皆前向きなバイタリティーを彼から受け取って気分よく家路についたことと思います。(続く)


2003.06.20

さすらいのブルースシンガーVol.3

その場の観客のそれぞれの奥深いところに眠っているベーシックな感性を直接揺り動かすかのような、そして次第に熱を帯びていく彼の演奏と熱唱に、何時の間にか全員が完全に引き込まれてしまっていました。

初めのうちは食事をしながらだった人達やグラスや煙草を片手に斜に構えていたような人達も、もはやみな彼にまっすぐ向き合っていましたし、頭や身体を揺らしたり足を踏み鳴らす人達、一緒に歌う人達、掛け声をかけたり踊り出す人達と、皆がそれぞれ心から楽しんでいましたし、また自らの感性とは異なるジャンルの曲目になってもそれもまた楽しむ余裕もあって、興奮のウェーブが何度も会場を往き来するうちにやがて一つのるつぼに全員を巻き込んでしまっていました。

様々なナンバーを、尽きることのない溢れんばかりのパワーで歌い上げ、縦横無尽にギターとパーカッションが炸裂し、観客は大きな感動と興奮に包まれました。

そして、彼の笑いを誘うもしみじみとした気分にさせる語りがあって、最後の数曲と当然ながらアンコールは彼のオリジナル曲で、実にエンターテイメント性の高い彼のコンサートは締めくくられました。(続く)


2003.06.18

さすらいのブルースシンガーVol.2

今ではもう彼は、その世界では名の知られたR&Bシンガーとのことですが、少なくとも私はそれまで彼のことを全く知り及びませんでした。

外見は率直に言えば地味なオヤジでしたし、最初の曲が流れ始めた時には、ああいけないところに来てしまったなというのが正直な印象でした。

しかしそのコンサートは、アコースティックギター&リードボーカルの彼と、パーカッション(ボンゴ)&サイドボーカルの彼よりはかなり若い男性の二人だけだったのですが、曲が進んでいくにつれてその場の空気は確実に変化していきました。

普段彼はソロだと思うのですが、状況に応じてこうしたセッションをアレンジするのは、彼に限らずミュージシャンはごく一般的に行います。日常的に時々セッションをしているのでしょうが、二人の息はぴったりと合い、相乗効果でとてもたった二人の演奏とは思えないほど彼らのサウンドからは拡がりと重厚さが感じられました。

まずはさすがにキャリアも長いだけあって、何といってもギターテクニックが素晴らしい!初めのうちはまるでバックグラウンドミュージックのように静かに口ずさむかのようなスローなバラードが、美空ひばりからビートルズまでまるで同じ一曲かのように続き、それから徐々にカフェレストランを埋めた観客をそれぞれの世代向けの曲でゆっくりと、でも確実に引き込んでいきます。(続く)


2003.06.16

さすらいのブルースシンガー

ずっとこのコラムでもとりあげたいと思いつつも、ただでさえ普段から更新のインターバルが空いてしまいがちなところに、並行して同時進行中の各種シリーズの連載にかまけていたり、そうこうしているうちにシステム障害やらサーバーダウンやらと、日常のルーティーンワークの傍らの雑務に追われてずるずると先送りしているうちに、ふと気付けばもう一年の月日があっという間に過ぎ去ってしまいました。

先日ある雑誌にパラパラと目を通していたところ、たまたま彼のコンサートの告知を見つけたこともあって、ようやくこれを書き出したところです。

去年の今頃私の仕事仲間がたまたまネット上で、彼が彼女の自宅近くの新しくオープンしたカフェレストランで貸し切りコンサートをするという告知を見つけてとても懐かしがるも、ディナー形式だったこともあって一人で行くのを躊躇している様子でしたので、ならば私もと一緒に出かけていったのでした。

さすらいのブルースシンガーは、もう15年以上も前のことですが、仕事仲間の彼女がまだ米軍基地の街の不良少女でブイブイ言わせていた頃(もう死語でしょうね・・・)、もう今はなくなってしまったという知る人ぞ知る伝説のバーでスタッフ兼常連客をしていた頃に交友のあった人物とのことで、それ以来一度も会ってはいなかったようなのです。(続く)


2003.06.15

たいへんご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした(business & life共通)

ここ数日の間、私が運営しているサイトの一つが完全にダウンしてしまう状況が続いてしまい、関係者の方々にはたいへんご迷惑をおかけしてしまいました。誠に申し訳ございません。

おかげさまで今しがた復旧いたしました。

今後はこのようなことのないよう充分に注意いたしてまいります。ご指摘いただきました関係者の方々にお詫びとお礼を申し上げます。


2003.06.13

つかの間の安らぎ・続編4(business & life共通)

それにしてもこういう事態に陥ってしまう度に、何とももろく不安定な基盤の上に私の現状の仕事は成立しているのだという事実に改めて気付かされます。

コンピューティングの信頼性も、せめてカメラの基準まで完成されてくれば、もっとずっと心安らかに仕事に励んでいけると思うのですが、残念ながらそれはまだまだずっと先のことのように思われます。

それでもコンピューティングによって享受できる様々なメリットや可能性を考慮すれば、コンビューティングを私の生活や仕事から排除しようなどとは決して考えないということも紛れもない事実なのですが・・・。

せめても私自身の気持ちの持ち方一つでコンピューティングとの関係そして私の生活や仕事も大きく変わっていくことでしょうから、このままならない気紛れなそれでも離れられない存在との折り合いをつけながらずっと付き合っていかざるをえないのでしょうね。


2003.06.09

つかの間の安らぎ・続編3(business & life共通)

道具であるパソコンが快調に動いていたとしてもなかなか思うように仕事ははかどりませんし、特にこのコラムにいたっては普段からのスローペースながらもさらに更新のインターバルが開いてしまいます。

ゆっくり自宅あるいはデスクでリカバリー作業ができればまだしも、私のようになかなか帰宅できず日々移動から移動の放浪生活を続けていると、なかなか一ヶ所に留まることが難しく、必然的に眠る時間を削っての深夜の対応を余儀なくされてしまいます。

今回も夜を徹しての作業を強いられてしまい、ちょうどスケジュールが立て込んでいる時でしたから、明けた翌日はもちろんのこと、その日の夜も別案件の必要書類の作成のために眠る時間がまったくとれず、結局丸2日の徹夜となってしまいました。(続く)


2003.06.07

つかの間の安らぎ・続編2(business & life共通)

これまでに経験のない事態に、私もさすがに青くなってしまいました。

私自身の公私にわたるデータは勿論のこと、顧客の社外秘データも一元管理をしていますので、ただ消去されるならまだしも(バックアップもありますし)、それらが流出する、あるいはウイルスを顧客にばらまいたなどということにでもなれば・・・、想像しただけでも気分が悪くなってしまいます。

事態が解決するまではネット接続をしないようにしつつ、まずは念のため別のマシンでバックアップデータのウイルスチェックをしたうえでWindowsノートの初期化再インストールをしてしまいました。これで安心、とはいえそれで結局原因は判らずじまいとなってしまいましたが、第三者に迷惑をかけるリスクは回避できました。

後はお決まりの各種使用アプリケーションを順次インストールしつつ消えてしまった設定をし直し、バックアップディスクからデータを改めてコピーするのですが、これら一つ一つの作業が実に時間がかかるうえに面倒なのです。(続く)


2003.06.06


つかの間の安らぎ・続編(business & life共通)

ここしばらくMacもWindowsも快調だったのですが、また突然Windowsが不調をきたし、再インストールを余儀なくされてしまいました。

以前にも、散々悪戦苦闘した経緯をこのコラム上でお伝えしましたが、そうした経験もあって、今回はもうじたばたしないで、最初から再インストールの作業に入ってしまいましたので、無駄な時間と手間は最小限に抑えることができました。

しかし、ちょうど多忙な時期と重なってしまいましたので、まだいくつかのアプリケーションのインストールや設定作業を残しつつも、日常の仕事に支障をきたさない基準にまで復旧させるのにそれでも数日を要してしまいました。

今回は、ある日突然Windowsノートの動作がスロー になり、もちろん再起動やらディスクスキャンなど一通りの対処をしてみても症状はまったく改善されず、ウイルス感染を疑って(オートプロテクトアンチウイルスプログラムを常駐させていますので、感染の可能性は低いとは思ったのですが)ディスクの完全スキャンをしようとしたところ、何とアンチウイルスプログラムを起動することができなかったのです。そればかりか、プログラムフォルダの中からもアンチウイルスプログラムのアプリケーション本体が消失してしまっていたのです。(続く)