DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 
   
2004.05.30
《おまえたちユダヤ人はなぜわれわれの文化を、われわれの宗教を、またわれわれの言語を受け入れようとしないのか?おまえたちは居住定まらぬ遊牧の民。われわれは強大な民族だ。おまえたちには都市も富もない。われわれの都市は人類のむらがり集う中心であり、わがガレー船は三層、四層の櫂座を備え、あらゆる商品を積んで、この世界の海に乗り入れている。おまえたちは原始生活から抜け出したばかりだが、われわれには文学が、聖職が、古い歴史が、政治組織がある》

《おまえたちは土地の名もない偶像に祈りをあげる。壮麗にして神秘をきわめる我々の寺院は、イシスとオシリスの、ホールスとアモン・ラーのいますところだ。奴隷の身分、畏怖、屈服がおまえたちのもの。雷電と大海がわれわれのものだ。イスラエルは弱い。その子らの数もすくない。エジプトには多数の民があり、その軍隊は恐ろしい。おまえたちは浮浪者、日雇いと呼ばれている。われわれの名前を聞けば世界は恐れおののくのたぞ》

《しかしながら、みなさん、若いモーセがこういう人生観に耳をかたむけ、これを受け入れていたら、この高慢な訓戒に頭を垂れ、意志を曲げ、屈服していたら、選ばれた人々を引き連れて奴隷の家を出ることもなく、昼は雲の柱に導かれることもなく過ぎたでありましょう。シナイ山頂の雷電のただなかにあって、永遠の神と語らうこともなく、国なき民の言葉をもって刻まれた律法の板をかかえ、その顔から霊感の光を放ちつつ山を下ることもなくして過ぎたでありましょう》

〔「ユリシーズ/ジェイムス・ジョイス著」の一節より〕


2004.05.29

われわれは常に負けるいくさに忠誠を捧げた、と教授が言った。われわれにとって勝利とは、知性の死であり、想像力の死だ。われわれが勝利者に忠節をつくしたことはただの一度もない。ただ仕えるだけだ。わたしは卑しいラテン語を教えている。わたしが話しているのは、知性の頂点として、時は金なりという格言しか持っていない種族の言葉さ。物質が主人なんだよ。

〔「ユリシーズ/ジェイムス・ジョイス著」の一節より〕


2004.05.27

・・・・・。


■小泉訪朝後批判殺到、家族会に戸惑い

 小泉首相再訪朝の結果と、それを受けての日本社会の反応に、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)から戸惑いの声が上がる。首相に怒りをぶつける場面が放送されると、批判が殺到した。首相訪朝を受けた新聞各紙の世論調査結果もメンバーには「意外」だった。「自分たちの訴えは国民に理解されているのだろうか」。そう自問する人もいる。

 家族会への反響は、事務所を持たない同会に代わり、支援団体「救う会」の事務所に続々と届いている。26日までに電話は数百件、電子メールは1200件に達した。

 当初は家族会への批判が中心だったが、それが報じられると、こんどは支援の声が寄せられるようになった。それでも全体の3分の2は批判的な内容だという。

 家族会は、日朝首脳会談があった22日夕の記者会見で、「予想した中で最悪の結果」と訪朝を評した。その日深夜には、首相と面会した家族会メンバーが、首相を厳しくただす場面が、テレビで放送された。直後から反響が殺到した。

 「誤解を解く必要がある」と考えた家族会や救う会は25日、「ご批判に対して」と題する見解をまとめた。講演などで各地に散っているメンバーともファクスで連絡を取り合った。増元照明・家族会事務局次長(48)は「5人の帰国への祝福や、首相へのねぎらいも申し上げた。テレビでは批判している場面しか印象に残らなかったのが残念」と説明する。

 各紙世論調査で、首相訪朝を全体的に「評価する」との回答が6割を超えたことにも、メンバーらの意外感は強い。横田滋代表(71)は「『首相が行ったのに、これくらいしかできなかったのか』と、もう少し評価は低いと思っていた」と驚いた。増元さんも「我々の怒りが共有されていないのか」と衝撃を受けていた。

 「このままでは幕引きにされる」との危機感から、6月6日には東京・日比谷で緊急集会を開くことを急きょ決めた。

 家族会は97年結成。全国での講演や署名集めを進め、メディアにも積極的に登場してきた。02年9月に北朝鮮が拉致を認めると、運動への高い支持を背景に、政府に対し北朝鮮に経済制裁などの圧力をかけるよう要求してきた。それだけに、今回の事態について増元さんは「われわれの運動が上滑りだったかもしれない。だがどうしたらいいのか」と悩む。

 そんな立場を気遣うように、中山恭子・内閣官房参与は26日、広島県尾道市での講演で語った。「家族会の人は子供が連れ去られた悲しみ、苦しみに二十何年間、耐えてきた。今回は本当にがっかりし、少し激しい言葉を使ってしまった。出発前に期待した分、自分たちのことが見捨てられると感じたようだ」

〔朝日新聞〕


2004.05.26

頑張りたくない・・・

「幸せになりたいけど・・・、頑張りたくない・・・」
テレビのCMで、最近はサイクリストとしても有名なロックシンガーがアコースティックギターを抱えて唄っていますよね。

そうそううんうんと素直に共感してしまいました。

私自身に則した正確なところでは、「幸せになりたかったら・・・、頑張らないで・・・」といったところでしょうか・・・。

こんなふうに生きる人達がもっと増えれば、この世の中ももっと楽しく平和になるのでしょうに・・・。


2004.05.25b

■拉致告白、揺れる親心


 新潟県柏崎市で一家4人の生活を始めた蓮池薫さん(46)は24日、同市役所で記者会見し、初めて拉致された事実を2人の子どもに伝えたと明かした。親子の絆(きずな)を信じて告白した父。テレビや新聞で報じられた自分たちの姿にとまどう子どもたち。なぜ親は子どもを置いたまま戻らなかったのか。離れていた間、どんな風に過ごしたか――。蓮池さん一家、福井県小浜市の地村さん一家で、それぞれ親子の間を埋める対話が始まった。

●真相告げ「絆確認」 蓮池さん

 「強制的に連れて行かれたんだ」。蓮池薫さんの2人の子どもは、両親の拉致を父親の口から相次いで告白されると、言葉が出なかった。薫さんは2人を気遣いながら、拉致の話ができたことで、「親子の絆が確認できたというか、ある程度親の気持ちもわかってくれた」と、ほっとした表情で話した。

 薫さんによると、この日打ち明けることは事前に祐木子さん(48)と相談していなかった。

 朝、テレビを見ていた克也さん(19)と2人きりになったときに、拉致問題に話題が及んだ。「拉致をどう思う」と聞くと、克也さんは困惑の表情を浮かべたまま何も答えなかった。

 「片方だけに話すわけにはいかないから」と2階で寝ていた重代さん(22)を起こし、30分ほど同じことを話した。衝撃を受けた表情を浮かべながら、無言で聞いていたという。

 子どもたちも、両親がいなくなってから1年7カ月の気持ちを正直に話したという。「友だちを支えにやってきた」などと話したという。

 薫さんは、2人を残したまま戻らなかった理由を、「お前らが憎くて捨てようと思って日本にとどまったんじゃない。お前らにも、親にもいい道というのは、ここしかないと思った」と説明した。

 薫さんは「敵対的な態度」を心配していたが、2人は反発せずに話を聞いてくれた。「少し安心した。これから新しい道を出発する土台はあるんじゃないか」と語った。

    ◇

 23日、新居に入ってからは、2人は用意してあった韓国ドラマ「冬のソナタ」のビデオを夢中で見た。それまでは、日本語のニュースばかりで、しかも自分たちが何度も登場することに、やや嫌気がさしていたという。

●「まだそんな状況でない」 地村さん

 一家で郷里に到着して間もない午後3時前、地村保志さん(48)の会見は、小浜市中心部にある市文化会館で始まった。「子どもたちに強要だけはしたくない」「子が自覚するまで日本名の公表は待ちたい」。約40分間の会見で、保志さんは連れ帰った3人の我が子を思いやる言葉を重ねた。

 離ればなれだった1年7カ月の時は、意外に早く埋まったという。

 「家族だけで話すうちに以前の北朝鮮での家庭の雰囲気に戻った。本当に1年7カ月、離れて暮らしていたんかなと、冗談っぽい話も出た」

 富貴恵さん(48)と子どもたちとの雰囲気は数時間で元に戻った。「きのう別れて、きょう会ったような感じです」と保志さんはほおを緩めた。

 拉致のことは一切話していない。「北朝鮮に戻るかとか、そういう話はしてない。言えば、『帰る』と言うんじゃないか。まだそういう状況なんです」と保志さんは言った。

 今後の教育をどうするか――。保志さんは慎重に言葉を選びながら「北朝鮮の反日教育は徹底されている。ただ思想と実際は違う。実際に体験、目撃させて、頭から反日教育を批判するのでなく、理解できるように環境をつくってあげたい」と言った。

 「お父さん、お母さんの古里に帰るんだよ」と語りかけても、子どもたちの反応はあまりなかったという。「親にも言えない何かを秘めている感じだ」と話した。

●地村さんの父、23年ぶり美酒

 地村保志さんの父保さん(77)は24日夜、地村夫妻の行方不明後に続けていた禁酒を解き、23年ぶりにビールを口にした。

 保志さんらが78年に行方不明になった約3年後から、「2人が戻ってくるよう願をかける意味で酒を断った」という。

 02年10月、夫妻が北朝鮮から帰国した時、「乾杯」はしたが、グラスに口をつけただけだった。「孫たちが帰国するまで続ける」と決めていた。

〔朝日新聞〕


2004.05.25

駅は人と人との交差点Vol.2

あまりの彼女の勢いに吊し上げられたその熟年男性は、素直に自らの行為を認めてひたすら平謝り、出来心による初めての行為であること、警察沙汰にしないでほしいこと、彼も某有名大学の教授だったのですが、大学や家族にも内密にしてほしいことなどを涙ながらに彼女に懇願していました。

その場合すべては彼女の判断次第ですから、私はただ黙って彼女とその熟年男性とのやりとりの推移を見守っていました。そのまま15分ほどの時間が流れたでしょうか、最初は物凄い剣幕だった彼女も次第に落ち着いて、彼を哀れに感じたのでしょうか、結局駅員を呼ぶことも警察に突き出すこともせず、彼の免許証を取り上げてその場は放免してあげることになりました。

私もその後証人になるなど、何らかのケースに備えて、彼女に頼まれ名刺を渡し、彼らを残して先にその場を離れたのでした。その踊り場から改札に向かう階段を昇り切ったところで振り返ると、何故か両膝をついたままの彼の正面に立った彼女が自らスカートの裾を捲り上げて下着を見せているではありませんか。私は驚いてまたその場に立ち尽くしてしまいそうになりましたが、我に返ってそのまま改札を出たのでした。(続く)


2004.05.22

■イラク人質:
高遠さん「今こそ人道支援必要」(business & life共通)

 イラクで拘束された北海道千歳市のボランティア、高遠菜穂子さん(34)は20日、自宅で帰国後初めて代表取材に応じた。「自己責任」のあり方について、高遠さんは「『いつ死ぬか分からない』という覚悟のもと行動していた」と説明。イラクの現状については「今こそ武器を持たないNGO(非政府組織)中心の人道支援が必要」と、時折声を詰まらせながら訴えた。

 主なやり取りは次の通り。

−−現在の体調は

 幻聴はほとんどなくなったが、パニック状態になることや、いやな夢をよく見る。

−−犯行グループに対してどう思うか

 彼らもこれが決して良いことではないことを知っているが、『他に方法が見つけられない』と話していた。

−−解放直後に「イラク人を嫌いになれない」と話した理由は

 彼らは、愛する家族を殺された悲痛な叫びを届かせるには、この方法しか見つけられなかったのだろうと感じた。

−−事件の背景に何があると思うか

 拘束されたのは日本人だから。イラクでは昨年末から反日感情が急激に高まり、占領する側とされる側、援助する側とされる側の認識の違いや、政治では解決できない個人的な怒りや憎しみの感情の波が、暴力となって全土を覆っている。

−−自己責任論についてどう思うか

 「いつ死ぬか分からない」という覚悟で行動していた。さまざまな意見があるのは自然。

−−イラクの状況をどう思うか

 あれだけ親日だったイラク人が反日感情を持つようになったことは悲しい。しかし、戦争被害に苦しむ人たちのことを考えると、今こそ武器を持たないNGO中心の人道支援が必要だ。

−−小泉首相が「自衛隊を撤退させない」と明言したことについて

 当然だと思う。

〔毎日新聞〕


2004.05.21

「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできないから。本当の答えというのはことばにはできないものだから」
「そういうことだ」とサダさんは言う。「そのとおりだ。それで、ことばで説明しても正しく伝わらないものは、まったく説明しないのがいちばんいい」
「たとえ自分に対しても?」と僕は言う。
「そうだ。たとえ自分に対してもだ」とサダさんは言う。「自分に対しても、たぶんなにも説明しないほうがいい」

〔「海辺のカフカ/村上春樹著」の一節より〕


2004.05.19

駅は人と人との交差点

「やっだあぁ・・・、POPO(もちろん実名にて)ちゃんなのおぉっ???」
つい今しがたのこと(その後数行電車内で書き始めたところで放置、それからまた一週間が過ぎてしまったという毎度のパターン・・・)、移動中の乗り換え駅のホームで電車を待っていると、突然背後から女性に声をかけられました。聞き覚えのない大きな声に驚いて降り返るとその大きな声の主は、小学生高学年の男の子と低学年の女の子の手を引いて幼女児を背負った主婦だったのです。

あまりに久し振りかつ唐突でしたし、それに印象が変わっていましたので、その女性が誰であるかの確信を得るまでに5秒ほども要してしまいました。

ある日地下鉄の駅の長いエスカレーターに乗っていると、すぐ前方(上方)で突然制服姿の女子高校生が熟年男性のスーツの襟首をつかんで大声をあげたのでした。
「こらあ!何してんだこのクソオヤジィ!ざけんじゃねえぞおっっっ!!!」
その女子高校生の10年後、それが私の目の前の女性だったのです。

先日メディアにも頻繁に登場していた著名な大学教授が手鏡で女子高校生のスカートの中を覗こうとして逮捕されていましたが、その時もまったく同じ手口でその熟年男性が、彼女のスカートの中を手鏡で覗いていたところを、彼女自身が見つけて吊し上げたのでした。

痴漢行為に遭っても泣き寝入りしてしまう気弱な若い女性が多いと聞きますが、たいへんな女性にあたったものだとその熟年男性が気の毒に思えてしまうほどの勢いで、彼女はその男性に食ってかかりながらすぐ近くにいた私に訴えるので、私もすっかりその騒動に巻き込まれてしまい、引き摺るように怯えた男性をエスカレーターを降りたコーナーに連れていく彼女に私も従がわざるをえませんでした。(続く)


2004.05.18

彼女は机の上に重ねた三冊のファイルの上に手を置いた。
「私はそのような出来事のすべてを、ここに細かく書き記しました。私は私自身を整理するためにこれを書いてきました。私は自分がなにものであり、どのように人生を送ってきたのか、それをもう一度隅々まで確認したかったのです。もちろん私以外の誰を責めることもできないのですが、それは身を切るようにつらい作業でした。しかしその作業もようやく片づきました。私はすべてを書き終えました。こんなものは私にはもう必要ではありません。またほかの誰にも読まれたくはありません。もし誰かの目に触れたら、また新たに何かを損なってしまうことになるかもしれません。ですから、これをどこかで完全に焼き捨てていただきたいのです。あとかたも残らないように。それを、もしできることなら、ナカタさんにお願いしたいのです。私にはナカタさんしか頼るべき人はいません。勝手なお願いですが、よろしいでしょうか?」
「わかりましたとナカタさんは言った。そして何度か強くうなずいた。「サエキさんの望まれることであるならば、ナカタはそれをしっかりと焼いてしまいます。ご安心ください」
「ありがとう」と佐伯さんは言った。
「書くということが大事だったのですね?」とナカタさんは尋ねた。
「はい。そのとおりです。書くということが大事だったのです。書いてしまったものには、その出来上がったかたちには、何の意味もありません」

〔「海辺のカフカ/村上春樹著」の一節より〕


2004.05.17

「いいかい、戦いを終わらせるための戦いというようなものはどこにもないんだよ」とカラスと呼ばれる少年は言う。「戦いは、戦い自体の中で成長していく。それは暴力によって流された血をすすり、暴力によって傷ついた肉をかじって育っていくんだ。戦いというのは一種の完全生物なんだ。君はそのことを知らなくちゃならない」

〔「海辺のカフカ/村上春樹著」の一節より〕


2004.05.14

■UFO発見?ネットで話題 メキシコ空軍が撮影

 メキシコ空軍のパイロットが同国上空で光を放ちながら高速で動く物体を撮影、米メディアやインターネット上で「未確認飛行物体(UFO)では」と話題になっている。

 AP通信によると、今年3月、南部カンペチェ州の上空約3500メートルで赤外線カメラで撮影された。物体は11あり、急激な加速や進路変更をしている。飛行中の空軍機に約3キロの距離まで近づき、空軍機が取り囲まれるようになった。

 メキシコ国防省はこの物体の正体について結論は出していないというが、ガスなどによる現象ではないかとの専門家の見方も出ている。(共同)

〔産経新聞〕


2004.05.09

★サイト開設三周年記念コラム
あっと言う間にこのサイトもはや3周年、されど未だ・・・Vol.5(business & life共通)

何時如何なる状況においても、事実はたった一つしか存在しません。しかしその唯一の事実に対して真実は人の数だけ存在するのです。私達個々の立場や環境そして価値観の相違により、ある一つの事実に対する認識は千差万別だからです。

然るに、ある一つの事実に対する人々の共通認識の定義であるところの本質が、私達が健全かつ円満な社会生活を送るうえでは不可欠であるといえます。

しかし、この本質を定義すること、これが不可能に近いと思えるほどに困難なことであり、その難しさの度合いは昨今日々さらに高まりつつある嘆かわしい限りの現状です。

本質を定義するうえで最も根幹となるべきものは原則です。その原則とは、自分自身が第三者にされて厭だと感じることを、自分自身も第三者に対してしないということです。

自分自身が第三者にされて嬉しいと感じることを、自分自身も第三者に対してしていくこと、これは原則に最も近い位置にあるものではあっても原則ではありませんので、特別に注意を払う必要性があります。

それ以外のほぼすべての認識は、その程度の差はあれども、原則つまりは物事の本質からは乖離(かいり)したところの真実、つまるところは私達個々の思い込みに近い位置にあるものであると言っても過言ではないでしょう。(続く)


2004.05.08


僕は言う。

「ねえ、大島さん、僕のまわりで次々にいろんなことが起きる。そのうちのあるものは自分で選んだことだし、あるものはぜんぜん選んでいないことだよ。でもそのふたつのあいだの区別が、僕にはよくわからなくなってきているんだ。つまりね、自分で選んだと思っていることだって、じっさいには僕がそれを選ぶ以前から、もう既に起こるときめられていたことみたいに思えるんだよ。僕はただ誰かが前もってどこかできめたことを、ただそのままなぞっているだけなんだっていう気がするんだ。どれだけ自分で考えて、どれだけがんばって努力したところで、そんなことはまったくの無駄なんだってね。というかむしろ、がんばればがんばるほど、自分がどんどん自分ではなくなっていくみたいな気さえするんだ。自分が自分自身の軌道から遠ざかっていってしまうような。そしてそれは僕にとってはひどくきついことなんだ。いや、怖いっていうほうが近いかもしれない。そう考えはじめると、ときどき身体がすくんでしまうみたいになるんだ」

大島さんは手をのばして僕の肩の上に置く。僕はその手のひらの温かみを感じることができる。

「もし仮にそうだとしても、つまり君の選択や努力が徒労に終わることを宿命づけられていたとしても、それでもなお君は確固とした君であり、君以外のなにものでもない。君は君としてまちがいなく前に進んでいる。心配しなくていい」

〔「海辺のカフカ/村上春樹著」の一節より〕


2004.05.07

■伊で「クローン人間3人誕生」と医師、詳細は明らかにせず

 イタリアの不妊治療医セベリノ・アンティノリ氏は5日、ローマで記者会見し、体細胞の核を移植したクローン胚(はい)技術で3人の「クローン」赤ちゃんが誕生したと述べた。同氏が直接関与したかや3人の性別、国籍などについては「タブーなので答えられない」として明らかにしなかった。

 同氏は02年11月、「3人の女性がクローン人間を妊娠している。来年1月に1人目が誕生する予定だ」と発表したが、その後は口を閉ざしていた。今回の会見では「クローン人間が誕生したか」と質問されたのに対して「少なくとも3人は成功した。核移植がうまくいったとの情報を入手した」などと答えた。

〔ロイターニュース〕


■骨髄提供のため着床前診断で選別出産…米で5人誕生

 【ワシントン=笹沢教一】米イリノイ州シカゴの「生殖遺伝学研究所」は5日、重い血液の病気を持つ小児患者の治療のため、患者に移植可能な白血球型(HLA)の遺伝子を持つ胚(はい)(受精卵)を着床前診断で選別し、骨髄提供者として出産することに成功したことを明らかにした。

 最適の骨髄提供者が見つからない小児患者を救う緊急避難措置ではあるが、骨髄提供者という特定の目的を持って生命を生み出す行為に、医療技術の安易な適用拡大を懸念する声も出ている。

 同研究所によると、骨髄提供者ベビーはすでに5人生まれ、このうち1人がへその緒から採取した幹細胞を兄弟に移植、さらにもう1人が近く同様の幹細胞移植を兄弟に行う予定だという。

 患者はいずれも急性リンパ性白血病や特殊な再生不良性貧血と診断され、この治療法を希望する患者の両親が、体外受精を行って胚を作り、患者のHLAと一致する遺伝子を持つ胚だけを母親の子宮に戻した。

 骨髄移植の条件となるHLAは、非血縁者間では数百から数万分の一しか一致しないが、兄弟姉妹間では4分の1の確率で一致するため、今回の手法が考案された。

 ◆「日本人向けも計画」◆「

 【サンノゼ(米カリフォルニア州)=館林牧子】「生殖遺伝学研究所」のアーバー・クーリエフ医師は5日、読売新聞の電話取材に「東京に同研究所の支部を開設、日本人向けに同種の着床前診断を提供する計画を進めている」と語った。

 同医師によると、日本側の担当者と近く最終合意書が作られ、開設は2年後以降になる見通し。同研究所は英国、ロシアなど5か国にクリニックを開設しており、同医師は「今回、我々は着床前診断が特別な遺伝病だけでなく、白血病など幹細胞移植が必要な病気にも広く応用できることを示した。日本でもこの技術は必要とされている」と話している。

 日本では今年2月、神戸の医院が男女産み分けのための着床前診断を行ったことが明らかになったが、日本産科婦人科学会の承認を得た実施例は1例もない。着床前診断は「命の選別につながる」などの批判が根強く、同研究所の日本進出計画は新たな論議を呼びそうだ。

〔読売新聞〕


2004.05.02


★サイト開設三周年記念コラム
あっと言う間にこのサイトもはや3周年、されど未だ・・・Vol.4(business & life共通)

と言っても、BBSにAYNILさんの書き込みがあったのは、まだ最初の三人の人質が拘束されていた時期で、それからもまたあっと言う間に日々が過ぎ去ってしまい、タイミングを逸してしまいました。

まさに万事がこの調子で、私が目指しているような体裁のサイトにしていけるのは一体何時のことやら、まだあれもこれもとやりかけたこと、また手付かずのままになっている事柄が山積してしまっている状況です。

さて、そうは言えども、一つ一つまずは着手、そして少しづつでも進めていけばやがて終わり、終っただけ目標に向かって近付いていくわけです。プロローグにおけるこれまたプロローグはもうこの辺りで切り上げて、ようやくイラク人質事件についての私見をまとめていきたいと思います。(続く)