DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 
   
2004.08.22
血液型と性格の相関性についてVol.4

個人的な友人関係においてであればともかく、社会生活やビジネスの関係においては、それぞれの立場や役割を果していく責任が重要でしょうし、そこには個々の性格の相違などが考慮されるべきものではありません。

その是非についてはともかくとしても、経済活動においては、個性や独創性といった本来の価値はほとんどの場面、お互いの不安や実際の障害を生み出すマイナス要因としてのみ働いてしまいがちだからです。

その番組の出演者全員が、血液型により評されるそれぞれの自分自身の性格傾向に対して全面的に肯定的であって、それらが第三者に対しては迷惑千万な言動であったりするにも拘らず、自らを良しとして満足しきっているように見受けられたことには少なからず違和感を禁じ得ませんでした。

私達が、自らの血液型による性格傾向を、個人としての日常生活における対人関係に留めて、社会生活やビジネスの関係に持ち込まないようお互いに努力し合っていこうとする姿勢こそ、これからの国際協調社会を構築していくための第一歩なのではないでしょうか。

お互いが協調し合うためには、まずはお互いが自我の主張を差し控え、相手の個性をあるがままに理解し許容する努力をしていくことが必要でしょうし、自らを知り相手を知る、そしてお互いの間の適切な距離をはかるための一助として血液型と性格の相関性を役立てていけたら素晴らしいと思いました。


2004.08.21

午後のカフェの面々Vol.4

次に登場したのは、珍しく私の独断的好みの範疇に入るなかなかに素敵な外見の女性です。二人掛けのテラス席の空いていた私の隣に、「ここ宜しいですか?」と声をかけてくれて腰を下ろしたのです。

しばらくすると煙草をバックから取り出して火を点けたのですが、灰皿のスタンドが私の側にしかありません。「失礼」と声をかけてテーブルごしに乗り出すようにして灰をスタンドに落とそうとしたのですが、ノースリーブのブラウスの脇の下から見事なまでに長く濃く黒々と生え揃った脇毛の塊が眼前にいきなり出現して、私は驚嘆してしまいました。

欧米の女性達の多くは、特別に手入れをしないで自然な状態にしていますし、私も何もわざわざ普段からきれいに手入れをする必要もなかろうにと考える肯定派なのですが、それでも強烈なインパクトを感じてしまいました。

灰皿スタンドを彼女の側に移動してあげる際に、また私の目に留まったのが彼女の胸の膨らみでした。下着を着けていないその先端が、くっきりとブラウスの生地を押し上げているばかりか、透けて見えてしまっていたのです。

日本の女性達の感性も、目の遣り場に困ってしまうようなスタイルで街をかっ歩している欧米の女性達のように解放的になってきたのでしょうか。母娘デートの娘やキャバクラに応募していた二人組の少女達の、まるで水着の域に達しているほどのデザイン自体が大胆なスタイルとは異なり、オーソドックスなトラッドスタイルの彼女なりの大胆さという、それぞれ傾向の差はあるとしてもです。(続く)


2004.08.16

■不登校:
2年度続けて減少 5年ぶりに13万人台を割る

 国公私立の小中学校で昨年度、30日以上休んだ長期欠席者のうち「不登校」とされた児童・生徒は12万6212人で、02年度から5040人(3.8%)減ったことが、文部科学省の学校基本調査速報で分かった。現在の調査方式になった91年度以降、初めて減少に転じた02年度に続く減少。児童・生徒全体に占める不登校の割合も2年連続で下がり、特に小学校は初めて前年度を下回った。同省は不登校から学校への復帰を支援する教育支援センター(適応指導教室)の整備などが奏功したと分析しつつ、なお高水準で「引き続き大きな課題」としている。

 速報では、不登校の小学生は2万4086人で、02年度より1783人(6.9%)減少。中学生は10万2126人で、3257人(3.1%)減った。合計では5年ぶりに13万人台を割った。

 児童・生徒全体に占める不登校生の割合は1.15%で、初めて低下した02年度からさらに0.03ポイント下がった。中学校は2.72%で、2年連続低下。小学校は0.33%で、00〜02年度の0.36%から初めて下がった。小学校は02年度の「280人に1人」から「300人に1人」となった。中学校はほぼ1クラスの37人に1人と変わりない。

 少子化で児童・生徒数は年々減っているが、不登校の人数は増え続け、初めて02年度に減少した。今回、人数では98年度、全体に占める割合では00年度の水準に戻った。これまでのピークは01年度の13万8722人。

 不登校生の割合を都道府県別にみると37都府県で下がり、8県で上がった。下がり方が大きいのは滋賀、山形、鳥取。上がり方が大きいのは三重、香川、宮崎だった。

 一方、大学・短大への進学率(浪人含む)は過去最高の49.9%で、男子は51.1%と初めて5割を超えた。女子は48.7%。【千代崎聖史】

 【不登校】年間30日以上の欠席者で心理的、情緒的、身体的、社会的な要因・背景から登校しない、できない児童生徒。

〔毎日新聞〕


■不登校:
子どもたちを呼び戻す学校 本当に変わったのか?

 不登校の小中学生が2年連続して減った。学校から遠ざかった子どもたちを呼び戻す行政の取り組みも活発になっている。それでも、不登校の子の受け皿となってきたフリースクール関係者には「学校が変わった」という実感は薄い。減少傾向はこのまま続くのか。子どもたちのきずなの糸を結び直す多様な試みが引き続き求められている。【北川仁士、千代崎聖史】

 東京都内に住む小学5年生の女の子は3年生の末から不登校が続く。今年の4月になって、担任の男性教諭が週1回、自宅を訪ねて来るようになった。2カ月後、先生が母親に「お子さんと一緒に学校に来ませんか」と切り出した。子どもに尋ねても「嫌だ」とは言わない。「できれば学校に行ってほしい」という思いも母親にあり、同伴で登校を始めた。だが教室の後ろや廊下から見守る娘の表情は、疲れの色を濃くしていった。

 1カ月で元に戻った。心なしか以前より元気がない。

 都内4カ所に施設を構えるフリースクール「東京シューレ」によると、ここ1年ほどで、不登校の家庭に登校を促すこうした働きかけが盛んになっているという。毎朝、子どもの状態を電話で報告するよう求める先生もいる。子どもに直接会わせるか否かでトラブルになった例もあるという。

 「子どもは嫌だと言えず(登校が)負担になっていたみたいだ」。冒頭の母親は親たちの集まりで、こう打ち明けた。

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 「家庭訪問を行い、学業や生活面の相談に乗った」12%、登校を促すため、電話をかけたり迎えに行った」11%。文部科学省が今回、公立小中学校を対象にした調査では、不登校の解決に効果があった措置として、家庭への働きかけを挙げる学校が最も多かった。

 むろん、行政の取り組みは多様化している。03年度、児童・生徒全体に占める不登校生の割合が滋賀県に次いで大幅に減った山形県は、県独自に教育相談員を配置したり、少人数学級の推進に取り組んできた。

 少人数教育の実施校では02年度、不登校生の割合が低くなる傾向がみられたという。1学級を21〜33人とする「さんさんプラン」は今年度、県内全域の小学校に広がった。県教委はほかに▽スクールカウンセラーの導入▽不登校の受け皿となる適応指導教室の広がり−−などを不登校減少の要因に挙げる。来年度から10カ年の第5次県教育振興計画では、不登校の半減を盛り込んだ。「成果が表れ始めているが、さらに努力を続けたい」と義務教育課は言う。

 フリースクールの子どもたちを見て、東京シューレの奥地圭子理事長は「子どものニーズの幅が広がってきた」と思う。不登校を選択することで元気になる子もいるという。「とにかく『学校に来させることがよいこと』という考えが目立つが、子どもにとって何が幸せなのかという見方が大事です」と続けた。

 ■「地道な取り組みを」文科省「学校と関係機関との行動連携に関する研究会」主査の森田洋司・大阪樟蔭女子大教授(教育社会学)の話

 正直、ここまで減るとは予想していなかった。担任の教師や生徒指導担当による問題の「抱え込み」が減り、学校全体で考える雰囲気が出てきていることが大きい。とはいえ中学生の不登校は37人に1人と高い。数字に一喜一憂せず地道に取り組みを続けてもらいたい。やりがいのあることや自分に還元される活動を通じて、学校や社会とのつながりの糸を太くするプログラムが必要だ。自然・社会体験も効果的だろう。

 ■「行きたい学校に」前島康男・東京電機大教授(教育学)の話

 文科省の不登校対策は変わり続けてきた。「不登校問題に関する調査研究協力者会議」最終報告(03年)では、登校を積極的に促す政策に転換しており、減少はこうした「成果」だ。ただ「学校に行きたくない」という子どもはむしろ増えているとのデータもある。「まず数字(不登校数の減少)ありき」で学校や家庭にプレッシャーがかかっている印象が強い。受験競争の激化など、学校を取り巻く状況はむしろ悪化しており、「行きたくなるような学校づくり」がまず先ではないか。

〔毎日新聞〕


2004.08.14

■日の出・日の入り:
見たことない子ども過半数

 「日の出・日の入りのどちらも見たことがない」と答えた子どもが半数を超えたことが、川村学園女子大の斎藤哲瑯(てつろう)教授(61)の調査で分かった。斎藤教授は「ついに5割まできたかという思いが強い。家族ぐるみで自然を体験する機会を増やす方策を考える必要があるのではないか」と話している。

 調査は今年6月に、関東周辺の小学5年〜中学3年の約900人に聞いた。他の自然体験とも併せ、斎藤教授が現在分析しているが、「日の出・日の入りを1回も見たことがない」が約52%に上った。過去にも同様の調査をしているが、91年41.0%、95年43.3%、00年46.1%で、初めて5割を超えた。

 今年の調査で「見たことがある」と答えた子どもも、「1回だけ」約22%▽「2〜4回」約15%▽「5〜7回」約5%で、「7回以上」は約6%にとどまった。

 斎藤教授は「精査が必要だが、最終的に5割を超えるのは間違いないだろう。他の質問の結果と関連させて背景を探らねばならないが、今の子どもたちは、外に出かけることが少なくなりつつある。家族で自然の中に入って行くのがいいが、親自身に自然体験が乏しくなってきている。親が積極的に自然に触れる場面をつくっていかないと、このデータは減ることはないだろう」と指摘している。【遠藤和行】

〔毎日新聞〕


2004.08.08

午後のカフェの面々Vol.3

彼女達が立ち去ると、入れ替わりに次にそこに座ったのは、大学生の男の子でした。茶髪にシルバーのメッシュ、伸びきったランニングシャツ、トランクスを半分以上外に出し、本来膝丈のパンツがむこうずねまでも隠れるほど擦り下げて、よくも脱げ落ちてしまわないものだと妙に感心してしまいます。その前にキャバクラに応募していた彼女達の、テーブルに肘を着いて前屈みになるとお尻の溝が半分露わになってしまう短い丈のパンツといい勝負をしています。

もう腰を下ろす前から、店からドリンクを片手に、もう一方には携帯電話です。それから延々と一時間以上、私がその店を出る時にもまだなおかけ続けていました。

サッカーの日本代表の誰それがどうとか、グラビアアイドルの誰とかれとどっちが可愛いとか、そんな他愛もない会話です。

いったい携帯電話料金をどのくらい支払うのだろうかと、途中でいぶかっていると、会話の途中で「俺の携帯は5分話すと30分はタダだから・・・」とのこと、そういえば最近テレビコマーシャルがよく流れているのを思い出しました・・・、・・・なるほどね。(続く)


2004.08.02

■「貧乏」を選択した人の幸福な暮らし

 その人は「私は貧乏を選択しているから」と笑った。
 お金もモノも持たない生活を自らの意志で望んで選択している、という意味である。
 だから、楽しくてしょうがないのだ、と。

 東京の忙しい職を捨て、海辺で布を織る生活をしている。個展や展示会で得るお金が唯一の現金収入だ。
 「あの……、ごはんとか、おかずはどうしてるんですか」
 言いよどんでいた言葉を、おそるおそる発する。
 「うふふ、なんとかやっていますよ。畑で野菜をつくっているし、近所にお友達がたくさんいるから。パン屋さんの友達は、それはそれはおいしい天然酵母のパンをしょっちゅう持ってきてくれるしね」
 散歩の途中でユキノシタを見つけると、いただいてきて天ぷらにするという。初めて会った日も、「お友達からもらったの」と、みずみずしいセロリを持参してきて一緒に食べた。
 ざくざくと切っただけのセロリのその香気の強いことと言ったら!
 セロリってこんなにおいしいものだったのかと衝撃だった。噛みごたえがあって、一口かじると水気が口中に広がって、店で買うのとまるで違う味をしていた。

 「じゃあ、海風を感じながらゆっくり本も読めていいですね。晴耕雨読みたいな」
 自然の中で暮らす人に対して、あまりに紋切り型の平凡な質問。自分で情けなくなる。その人は、また、うふふと笑ってかぶりをふった。
 「そう思うのでしょう。私も、最初はそう思ったの。ところが、全然。自然のサイクルに合わせていると、一日があっという間に過ぎていくので、忙しくてしょうがないの。そうね、今年は友達から借りた本を2冊読んだか読んでないかというところでしょうね」
 布の原料になる草も自分で採取している。その草が1年のうち夏の2カ月しか採れないのだそうだ。だからとくに夏は忙しい。

 京都の丹後で自給自足生活をする夫婦も同じことを言っていた。
 「春夏秋と、忙しくてしょうがないの。自然は待ってくれないから、次々やることがあるんです」
 秋の終わりにその話を聞いたのだが、そのときは、冬の雪ごもりに備えて、漬け物や保存食、家中の衣類をひっぱりだして日光に干しておく作業に追われ、一日が24時間あっても足りないと言っていた。

 土のあるところで暮らしながら、自分の手でものをつくりだす人の生活というのは、のんびり、静かな、おとぎ話のようなものではけしてない。刻一刻と変わる自然のリズムに合わせて生きるのは忙しいのだ。
 本も読めなくて、忙しくて、天気によって一日の予定が変わるし、お金も洋服もない。考えてみれば、ずいぶんな生活だ。だけど、私が会った人たちはみな、なぜあんなに幸せそうな、本物の笑顔をしているんだろう。

 すきま風が吹く古家で、どうぞと彼女がおやつを出してくれた。友達の作家が焼いた器に、近くの海で採れたというテングサで作った寒天。とろりとかかった黒蜜と、磯の香りのする寒天がまた相性抜群でお代わりしたいくらいである。
 またひとつ、自分の辞書にはない幸せのものさしを知ったようで、すがすがしい気持ちになった。見ると、カメラマンも編集者も、その場にいた男性スタッフみんなが彼女の笑顔の虜(とりこ)になっていた。貧乏を選択している人の志はゆるぎない。
その凛(りん)とした、なにごとにもぶれない強さのなかに、どう言ったらいいだろうか。意のままに生きている人だけが放つ美しさがあると思った。
彼女の庭。今年は遊びで稲を植えているのだという。

〔朝日新聞〕


2004.08.01


世界報道写真展最終日

毎年感じることですが、人と自然、なんと美しくそして儚いものなのでしょうか・・・。

予想どおり、今年はイラクをはじめ世界の紛争関連の写真が多く出展されていました。それにしても人はいつまでこんな愚行を繰り返していくのでしょう。

私ばかりでなく、誰もが悲惨な映像を眼前にして言葉を失い息を呑んでいました。

この場の共通の思いを、皆が忘れないで日々の言動に生かしていくことができれば・・・、直接自ら行動を起こすことができなくとも、公正かつ公平でない存在を許さない個々の意識が世界を変えていくことができるのですから・・・。