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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第5号■□■

 

≪CONSIDERATION≫

ブレイクイーブンの経営

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前号まではとりとめがなく捉えどころのない抽象論に終始してしまいがちでしたが、ここ当面の間はビジネスを最も根源的な基準から考察していくというこれまでの意図はそのまま継承しながらも、今後は毎号それぞれのテーマに沿っての具体的な論述を心掛けていきたいと考えています。

まずは、今号のテーマ「ブレイクイーブンの経営」からです。

 

自由競争資本主義社会におけるビジネスを発想し推進していくうえでは、一部の例外を除けば、赤字の出ないブレイクイーブン以上の成果につなげていくことが最低基準の目標となります。

例えば、植樹や清掃などの管理も含めた公園の設営であるとか、あるいは膨大な書物や資料を一般に広く解放する図書館などといった国や地方自治体が運営するような施設であれば、たとえ無料であっても私達の税金などの公的資金によって賄われる言わば採算度外視にて運営されることも可能ですが、民間におけるビジネスという範疇においては、赤字を日々増大させていくような事業は原則としては成立しえません。

しかし、現実のビジネスにおけるブレイクイーブンという言葉は、収益をあげていきながら初期投資を回収し終わり、日々の支出をカバーしうるプラスマイナスゼロのポイントを表現する用語に過ぎず、当然のことながら新たに事業を興そうとする法人や個人がそのブレイクイーブンポイントを最終的な目標としているようなケースはほぼ皆無であると言えるでしょう。

文化事業であるとか福利厚生的事業といったような特別な目的でもない限りは、事業を興し推進していくすべての法人と個人は、投資を可能な限り早期に回収し、少しでも大きな収益をあげ、組織を拡大していくことを最大の目標としていますが、私は持たざることがクールな時代のこれからの二十一世紀社会においては、多くの優れた経営者達がブレイクイーブン及び若干のプラスアルファーという基準を最終目標とするような経営を指向していくこと、またそうしたブレイクイーブン発想が広く社会一般に浸透していくことが、私達の明るい未来の形成につながっていく大きな一つの要素となるものと確信しています。

また、収益をあげること、そして事業を拡大していくことから事業の構築を発想すれば、もうそのスタートの時点から取り組む事業の内容やその方法論は限定されてしまうでしょうし、特に昨今の不景気の時代においてはなおさらにその選択肢は狭まってしまいます。私達の社会にとって不可欠なあるいは豊かさに繋がる重要なファクターが、必ずしも優良な事業として成立するとは限らないのです。

 

そもそも私達が人としての原点に立ち返れば、私達はそもそも何の為に働くのでしょうか。私達が幸せになるためであったはずです。ところが昨今の私達は、幸せになるために一生懸命に働いてきたはずなのに、どこか目指していたところとは違うところに来てしまってはいないでしょうか。さらには私達が本来どこを目指していたのか、見失ってしまっている人達が社会に溢れてしまってはいないでしょうか。

人が安心して幸せに暮らしていくために、当然必要になってくる事柄はたくさんあります。例えば治安、健康、住居、食事などといった絶対的な要素に加えて、娯楽や友好などの必然的な要素など様々な事柄が必要ですし、私達の自由競争資本主義社会においては、それらを自らに保証する糧となる金銭を得るために私達は仕事をしていかねばなりません。自らの仕事から多くの報酬を得れば得るほど、自らが手にすることができる様々な保証やそのクオリティーも高まるわけですし、元来私達人間の欲望とは限りのないものなのですから、いかにして自然発生的に現状の私達の社会の仕組みが形成されてきたのかということは自ずと理解することができます。

そうした私達が安心して幸せに暮らしていくために不可欠な事柄についてさえも、当然のことながら事業としての採算性といった経済の論理をあてはめざるをえないのが私達の現状の社会の常識ですから、私達の多くはまさに生活をしていくだけで精一杯といったような豊かさからは遠い経済的な基準からなかなか脱却することができません。

諸外国に比較して収入全体に対しての比率が相当に大きな住居のローンや賃料、生活費などへの費用をカバーするためにあくせくと日々働き、相当な倹約をせずしてはなかなか娯楽などに回せる費用は捻出できません。ましてや、医療や老後などの社会福祉も充実の基準からは程遠い私達の社会環境においては、少しでも明日への不安を解消するためには貯蓄に勤しむ他に有効な自衛手段が見つからないという悪循環に陥ってしまっているのが、私達の多くにとっての日々の実情であり、そうした不安のない富裕層は、全体からすればほんの一握りの人達でしかありません。

ほんの一握りの富裕層にどれほど莫大な富が集中しても、私達の多くが仕事をしていくうえで帰属している企業の保有がどれほど増大したとしても、それらが広く社会に還元されることなくしては、私達の多くは安心して幸せな生活を送ることはできないでしょう。

 

高度な経済成長を続けていた頃においては、前述のような個人よりも組織を尊重する社会の風潮や企業の収益至上主義が社会の情勢に見事に適合して、急速に日本は今日のような世界一の経済大国にまでなりました。ところが、どうしてそんな経済大国の国民である私達の多くにとっての日々の生活は、豊かさからは程遠く、そして将来への不安も解消されていかないのでしょうか。それは単純に、これまでの成長の段階において適合していた方向性や方法論が、二十一世紀に向かっての成熟の段階に入っている現状の私達の社会には適合しきれなくなってきているからに他なりません。そしてまた、私達の社会の変革にあたっての新たな方向性や方法論を明確に示せないまま、私達がこのまま漫然と時を過ごせば過ごすほど、社会の至るところで様々な深刻な弊害が生じ増長し続けることとなってしまいます。

これまでの方向性や方法論から脱却できないことから生じる昨今の弊害の最たる現象は、企業の業績不振による従業員のリストラや企業自体の倒産でしょう。もう最近ではさすがに私達も慣れっこになってきてしまいましたが、先日また倒産した某大手老舗百貨店のケースも、私達のこれまでの経緯と現状をよく表しています。社員の一人一人が充分な基準からは遠い報酬で一生懸命に働き、会社の業績を伸ばし、規模と保有を拡大させてきた結果待っていたのは自らの解雇あるいは会社自体の倒産です。永々と存続するはずの自らが帰属する会社による終身雇用という安定性が、自らの主体性や自由と引き換えに約束されているものと信じてきたにもかかわらずです。ましてや、会社の倒産の大きな要因が経営陣による無謀な事業拡大策や安直な海外進出計画の失敗などによるものであるとするならば、もう泣くにも泣けません。

このように解雇や倒産の憂き目に会ってしまえばもともこもありませんが、今後の明るい展望を描ける新たな方向性と方法論を示すことができている企業がまだとても少ない現状においては、まだまだこのような消極的かつ後退的なリストラや事業の縮小、ならびに良くても統廃合、悪くすればさらなる企業倒産もまだ当分の間は続いていくものと思われます。

 

こんな低迷した昨今の状況を打破するキーワードの一つ、成熟した自由競争資本主義社会への一つの効果的な方向性と方法論を示す新たな発想、それが「ブレイクイーブンの経営」です。

 

第6号 「ブレイクイーブンの経営・その2」に続く

 

≪EPISODE≫

 ▼Failure         
  >file#1-2 〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩・その2〜

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その案件の最終段階であるインスタレーション(備え付け工事)の過程において、すでに私達の会社はもう完全に空中分解状態、納期に間に合わせる目処もほとんど立たないばかりか、それまでに手段を選ばずに調達した資金もまた完全に枯渇してしまい、スタッフやトルコ人の職人達のホテル代金はおろか食事代にも事欠くような想像を絶する厳しい状況にまで追い込まれてしまいました。この案件を収拾することはもはや不可能であるかにも思えましたが、人間死ぬ気になれば何事も成せるもので、紆余曲折の末最終的には契約上の納期に三日遅れてしまいはしたものの、ドイツの各界の名士達を招待し、日本からも施主の某大手百貨店のトップをはじめ数多くの来賓も渡航しての開業記念パーティーの数時間前に、何とか追っ付ける形ながらもインスタレーションを終えることができたのです。

実際には、外見上では判らないような什器の細部に様々な支障があったり、実際の契約上の仕様からは若干異なってしまった箇所の修復などで、私達はそれからまた約10ヶ月間にも渡る毎日閉店後の手直し工事という、実質上この案件の最終的な収拾までにはさらなる時間と苦難を要することになるのですが、百貨店の開業の段階においては、この案件の施主の担当者達からはもちろんのこと、施主の社長からも賞賛とお誉めを頂きましたし、直接のクライアントであるスーパーゼネコンのその年の社長賞を獲得するなど、対外的には非常に高い評価を受けることができました。

開業後しばらくの間は、施主の百貨店の担当者からも事実上ナカヌキをするだけの存在でしかないゼネコンを飛ばしての直接の取り引きの申し入れもありましたし、競合百貨店からの新規取り行きの打診もありました。また、内外の取材が立て込んで専門雑誌など各方面に紹介された影響からか、そのゼネコンの下請けの位置にいた私達の会社の存在は表立っていなかったにもかかわらず、実際に店鋪を視察した設計事務所や施行会社などが調査をしてくださって、提携の申し入れや案件の依頼などそれ相応な反響がありました。

にもかかわらず、私達の会社がたとえ仮に会社保有で損失がカバーできるような経営状態にあったとしても、国内常駐社員も含めて日本人5名、アメリカ人1名、トルコ人1名という総勢7名の社員のみという規模と力量では、本工事よりも実質上は厳しい、新たな超過予算と多大な労力を要する手直し工事と並行しての新規案件の推進はほぼ不可能な状況でしたし、実際にはこの案件に関しての私達の会社としての最終的な支出は、収入金額の約3倍にまでも膨らみ、私達の会社の経営はもうその段階では完全に破綻をきたしてしまっていましたから、もはや自主的に休眠をしてまずは手直し工事を完了させ、そして経営の再建をはかっていく以外に道はありませんでした。

 

通常こうした大型商業施設の場合、施設のオーナーである施主からゼネコンに発注があり、ゼネコンが設計事務所や施行会社に発注をし、設計事務所がスペックする什器や装飾品などが施行会社を通して、あるいは直接に百貨店の建装事業部といったような部門や家具メーカーや輸入代理店などに発注されるというような流れが一般的なのですが、そもそもこの案件においては、言わば専門家が素人に仕事を発注するような、普段発注者であるところのゼネコンと受注者であるところの百貨店の立場が逆転してしまっていました。

国内の案件であれば、ゼネコン本部内にも設計デザイン部門もあれば、系列子会社にも内装全般を請け負うような専門の会社もあったりと、ゼネコングループ内だけでもこうした案件全般をまとめることも可能なのですが、それでも通常ゼネコン本体自らがこうした内装全般を請け負うことは稀なことであって、ましてや海外現地法人にとってはこの時の案件がまったく初めてのトライアルケースだったことは、私達にも意外な驚きでした。事実当初は、ゼネコンの社員全員がほとんど素人同様の状況で、FOBとCIF価格の違い*の知識すらもないようなレベルだったのです。

*輸出国から船や飛行機に荷物を載せる時点でのFOB価格に対して、さらにFOBに保険料と運賃を加えた輸入国に荷物が到着した時点のCIF価格の違い

もともとの事の興りは、そのゼネコンの当時の社長交代に際して、その百貨店の社長がお祝いとでもいうのでしょうか儀礼的に発注したという完全にトップダウンの、その意味では些細な失敗も許されないということでゼネコンの本社役員や担当達も腰が引けていた案件であったらしく、様々な事柄が異例な状況下において進展していきました。

結局実務上はそのゼネコンのドイツ現地法人に言わば一任される形で、契約上は東京本社を経由したのかまでは私の知るところではありませんが、おそらく施主の百貨店とこのゼネコンのドイツ現地法人との直接契約ではなかったかと私は推察しています。

そのような様々な異例の要素が絡み合い、通常では考えにくいことでしたが、いずれにせよ私達の会社は、このゼネコンのドイツ現地法人との契約を交わすことになりました。同時にこのドイツ現地法人が、什器や装飾品までを含むすべての内装デザイン全般を、同じゼネコンのイギリス現地法人(欧州本部)のデザインセンターに発注していたので、私達の会社は、このデザインセンターのスペックによる仕様に基づき日本で図面を制作し、トルコにてすべてカスタムメイドによるゆうに200点を越す什器や装飾品を制作し、それらを自ら現場であるドイツの百貨店まで運搬して備え付けをするまでを、業界の急ぎの基準の納期のまた半分、さらに業界の最低水準のまた1/3から1/4の予算で仕上げるという、業界の専門家にはおそらく信用されないような契約内容だったのです。

 

何しろ海外様々な国における買い付けや現地制作の業界最高水準の実力を持つところの大手百貨店が、そうした業務においてはまったくの素人にも等しいゼネコンの海外現地法人に案件を発注することになったわけですから、推して知るべしです。百貨店の担当者レベルにおいては、まさに普段の鬱憤晴らしの恰好の材料とばかりに、ゼネコン現地法人の担当者達は、そもそも究極最小限の水準にまで発注価格を絞られたことでしょうし、事実まさに私達の立場から見ても、普段様々な無理難題を要求され、主人に仕える奴隷のように百貨店の担当者達に接していました。私達の会社との窓口になっていたゼネコン現地法人の担当者は、ストレスと過労から極度の不眠症にかかり、体重を15キロ近くも落として軽いノイローゼ状態に陥っていたほどです。この担当者は、もともとの契約時の担当者から案件の途中の段階で進行管理を押し付けられてしまった人が良すぎるほどの人物で、私達も彼をバックアップしていくことには普段以上に神経を注ぎました。

また、内装からすべての備品に至るまでのトータルデザインを手がけたロンドンデザインセンターの担当者は、ロンドンに赴任したばかりでまだ英会話も満足におぼつかないような若手社員でしたが、国内においては様々な大型かつ優良な案件にかかわった実績を持ち、国内の大手家具メーカーの工場で職人として働いていた経歴も持つ異色ながらもとても優秀な社員でした。彼の設計は、何よりもまずコンセプチュアルであり、造作の視点からも非常に完成度の高いものでしたから、契約交渉の段階における様々な打ち合わせの段階で私も彼との関わり会いに傾倒していったこと、また彼のロンドン赴任以前の直属の上司であったところの本社建築設計本部の設計長は、それまでの様々な国内案件でお世話になっていた方であったといったような背景もあって、私達の会社に対してのこの案件に関する打診へと繋がっていきました。

そうした必然的要因に加えて、前述のようなこの案件自体の特殊な背景や、予算と納期の視点からも、あるいはその案件の内容自体という視点からも、常識的な業界の専門企業ではとても受け入れられないといった背景などその時の偶発的要因が重なって、そのゼネコンにまだ口座すらも有していない**私達の会社への発注に繋がっていきます。

**ゼネコンに限らず、通常一定の実績と信用のもとに、クライアントの取引銀行における口座が、クライアント自身により開設されないと、正式にそのクライアントとの取り引きができないという、特に流通業においては一般的な慣習があります。私達の会社は、そのゼネコンに口座を持つまったく第三者の立場の会社に手数料を支払って伝票を通すことによって、そのゼネコンからの様々な案件を受注していました。

そんな悪条件極まりない案件の受注に私達の会社が踏み切ったのも、何よりも大きな実績づくりとの判断でしたし、それまでの海外制作による国内案件へというそれから、海外制作による海外案件へという事業形態の拡大を計り、世界中の案件を日本国内、商品の製作をする国、案件の現場のある国をトライアングルに結んで総合的にコントロールしていくグローバルなノウハウを確立するという計り知れない大きさのメリットを想定したからです。

したがって、その案件に関しては、損失さえ出なければ利益に繋がらなくても良いとの考えで、商材の品質を何よりも重要視して、スペックするロンドンのデザイナーも驚いてしまうほどの最高のスペックを受け入れ、什器一つをとっても家庭の一生モノの家具を造るといったようなムクの素材、生地や金具類も業界最高クラスの素材をふんだんに使用して製作しましたし、例えばエントランスに設置した壷自体や台座となる柱一つをとっても、山から特別に切り出した天然大理石を職人のハンドメイドで削った本物を製作するといったような具合いです。

 

そんな通常のビジネスに比較して、絵空事のような基準で私達の会社はこの案件を捉えていましたから、そもそも通常の契約書を作成することすら困難だったのです。一つ一つの見積もり価格を設定していけば、どう調整してももともとそれだけしかないという予算の枠を超えてしまいましたし、最終的にはすべての私達の会社の原価と利益相当分を明らかにして見積もりを作成しましたが、それでもどうしても予算を超えてしまいました。そこで結局実際の受注品目の一部のみをリストにし、例えば階段の手すり部分やエントランスのドアーハンドルであるとか、実際には受注製作をしているにもかかわらず、あるいはまたトラックフレートチャージや備え付けの費用なども見積もりや契約に含めないといった体裁だけの契約書を作成し、その契約書自体も、案件がスタートしてしばらくしてから受け取るなどというように、ゼネコン現地法人と私達の会社の相互信頼に基づいて、すべては常識のはるか外で進められていきました。

そうしたことからの損失分をカバーするために、この業界にはよくあることですが、新たな次期案件にて収益を確保するという俗に言う案件の抱き合わせを前提に、結局私達の会社は私達のリスクによる持ち出し分であるところの3,000万円ほどを、私達の関係する個人・あるいは機関投資家から調達するまでしてこの案件に不退転の覚悟で取り組んだのです。

 

▼Failure         
  >file#1-3
   〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩・その3〜 に続く

 

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