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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第6号■□■

 

≪CONSIDERATION≫

ブレイクイーブンの経営・その2

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当然のことながら私は、企業としての収益活動を根本的に否定しているわけではありません。企業活動の成果が人や社会に貢献し、その結果として高い収益をあげることができるのであれば、もちろんそれに越したことはありません。しかし残念ながら、現実社会においてはそんな理想的なケースは稀有であると認めざるをえません。一見クリーンに映るクールな事業であっても、よく観察してみると一般大衆への欺瞞、弱者からの搾取、青少年へのマイナス影響、体制や権力への迎合による様々な格差の増長、地球環境の破壊などの様々なネガティブな局面を持ち合わせているケースが多いものです。本来人を幸せにするために存在しているはずの経済活動の多くが、実はその本来の根本的な目的を見失って一人歩きしてしまいがちであることは残念なことです。

どうしてこんな本末転倒の状況が生まれてしまうのでしょうか。それは、何より企業が利潤追求を第一目的としているからですし、またその利潤を追求しすぎるからです。正確に言えば、企業活動によって生まれた過剰な利潤が社会に還元されないからです。還元されながら生まれてくる利潤であれば、その企業活動が社会や人にマイナスの要因をもたらさない性格のものでありさえすれば、何らの問題も生じてきません。

それではどうして現状の社会のような状況が生まれてきてしまうのでしょうか。それは、私達一人一人の中に自己本位の発想と組織や社会に対する依存精神が深く根付いてしまっているからなのです。私達一人一人が自らの幸せを追求していくことは当然のこととしても、その過程において自らのことのみを追及し、他者への負の影響を顧みないということは、社会に様々な問題を生じさせる主因の一つであるにもかかわらず、その事で処罰されることはないばかりか、社会の非難を浴びたりすることすらないほど広く一般に自己本位の価値基準が浸透してしまっているのです。私達一人一人が、自らの利を追求するために、最低限周囲の第三者への負の影響を回避し、できれば第三者の利をも考慮するといった本来ごく当然であるはずの良識が社会の規範の一つとして定着していたとしたら、世界から愚かな戦争や極端な貧富の差や環境破壊といった多くの現状における深刻な諸問題は消失していくことでしょうし、もともと生まれてくることすらなかったことと思います。

また、私達一人一人の幸せの形は、人の数だけ存在するわけですし、私達自身を幸福に導いていけるのは、まさに私達自身以外の何者でもなく、家族も友人も、組織も社会や国家も、私達一人一人が私達自身を幸せにしていくための一助としての客体にはなりえても、決して私達自身を幸せにできる主体とはなりえないのです。にもかかわらず私たちの多くは、また諸外国の人々と比較しても特にまた日本人には、自分自身の存在と言動に責任を持てない、あるいは持とうとすらもしないような第三者的存在に対しての依存精神の蔓延化が顕著であると私は認識しています。

こうした依存精神は、強い大きな第三者の存在を求めるのが自然ですから、当然の流れとして組織や社会や国家は不必要な基準にまで肥大化していきます。依存する精神構造のうえでは、自らが依存し従属する対象の規模や権力の拡大がそのまま安心につながるからです。昨今のリストラや企業倒産、ひいては国家財政の破綻といった昨今の現実の事象に見られるように、それらの擁護が決して自らに保証されているわけではないにもかかわらず、私達の多くはまだ遠い過去の幻影にすがり続けるか、あるいは新たな依存できる第三者を求めて彷徨うばかりです。もともと依存できる存在など、自分自身以外にはどこにも存在していないのですが、私達の多くはまだその事実に気付かないあるいは気付きながらも目を背けたまま漫然と日々を過ごしています。

企業であろうと国家であろうと、組織というものはどんなに肥大化したとしても、どんなに保有を貯えたとしても、常に破綻とは背中合わせの存在ですし、組織は一人一人の個人の集合体である以上、意識の高い自立した個人の前には究極無力な存在なのです。また、本来組織は個人のために存在しているのですから、個人にとって無益な組織がいつまでも永々と存続しうるはずもありません。

こうしたことは、昨今の私達の社会情勢や経済状況を多角的かつ客観的視点から冷静に観察分析すれば、誰の目にも明らかです。宇宙の存在の有り様や自然界のすべての営みといったような永続的な存在の形態あるいは形式は、常に円運動あるい循環型ですし、決して現状の私達の社会自体あるいは社会を構成する多くの要素が指向している永続的な成長など、もともと自然界の永続的存在の摂理に反しているのです。この自明の事実に気付かず、あるいは背を向けてきた私達人類に、その反動はすでに様々な社会問題や環境問題としてふりかかってきていますし、このまま漫然と時を過ごせば過ごすほどそのツケは日々大きなものとなっていきます。

高度経済成長の過程で急速に発展成長を遂げた誰もがその永続性を疑わなかった大企業の多くが、既に破綻の結末を迎え、まだまだ潜在的に多くの企業が日々終焉への一途を辿っています。興るものはいずれ必ず亡びますし、急速に成長するものはまた急速に衰退するのです。国家すらも民間企業の論理からすれば、実はもはや破綻の状態にあり、これまでの方向性と方法論の延長上においては、状況が悪化していくことはあっても改善の可能性は限り無くゼロに近いと判断せざるをえません。これがなかなか表面化しないのは、保有やリスクをヘッジする先などに乏しい中小企業とは異なり、大企業や国家は、次号にて後述するような様々な理由により目先の日常的な資金が枯渇しにくいからにすぎません。バランスで見れば、日々赤字が増大し、財務状況は悪化の一途を辿っているうえ、再興への方針や方法論も見出せていない、そしてさらにその責任をとる者はどこにも存在していないということが隠された悲しき実情なのです。

こうした現状の私達の社会が内包する様々な問題点を打破していく一つのキーワードが、”持たざることがクールな二十一世紀社会におけるブレイクイーブンの経営”なのです。

 

第7号 「ブレイクイーブンの経営・その3」に続く

 

≪EPISODE≫

 ▼Failure         
  >file#1-3 〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩・その3〜

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そのような正式受注に至るまでの特殊な背景とお祭り騒ぎのような日々の進行の経緯において、その案件はそれでも最終段階近くまでは順調に推移していました。そうです、その事件が起こるまでは・・・、です。その事件は、階段手摺の真鍮製の支柱パーツを制作していたあるトルコの二次下請会社の工場にクオリティーコントロールチェックに出向いた際に発覚しました。

トルコ語以外解らない社長とは、いつも笑顔で握手し、抱き合って熊のような鬚面の彼の両頬に接吻し(真似事の仕種だけなのですが、それでも頬を合わせる際に相手の油が移って私はこれが大の苦手)、一緒に昼間からラクという水を加えると白濁するアニス系の強い蒸留酒を飲みながらラム肉料理を食べるだけの付き合いがそれまでの習慣でしたが、その日は英語が話せる第三者が同席し、支払いの打診がありました。すべての関係協力会社との支払い条件は、発注時に1/3、シッピング時に1/3、ドイツへのオンサイトデリバリー(現場への製品の運搬)とインスタレーション(現場での製品の搬入と備え付け工事)の完了時に1/3という一律の契約でしたから、シッピングを間近に控えての中間金の支払いについてのこととばかり思いましたが、よく聞いてみると受注時の着手金すら手にしていないとのこと、私達の会社としては一時下請会社三社対して、その前日にシッピングに備えての中間金を支払いを済ませたばかりでしたから、あまりの驚きに愕然としてしまいました。

早速踵を返してこの二次下請会社との契約にあたった一次下請会社の社長を掴まえて状況を確認するものの、トルコのルーズなビジネス習慣に沿って納期を下請業者に遵守させ、製品の品質を管理するうえでの、またさらなる価格交渉(いわゆる土壇場での値切り)のための最善の措置といたって平然とした本人の回答でした。しかし、私達もそれまでに他の小規模ながらもいくつかの案件で様々なトルコの会社や人々との交流の経験もありましたし、また彼の弁が事実であるならば、彼の会社に対してもそれまでの着手金と中間金の支払いも不要なはずですし、また何よりまったくこの案件とは別途に、彼の会社の資金繰り援助のために数万ドルの融資を実行していた経緯もあって、彼が資金繰りに窮している事実を彼の会社の経営状況のすべてに渡って熟知していた私は、それからマンツーマンで彼を徹底的に追求しました。その結果、彼は資金流用の事実を認めたのですが、責任を持ってマネージできるので心配するなとまで言い出す始末でした。

彼の会社は、実際の規模はそれほどでもありませんが、トルコではステイタスの高い会社で、彼自身も多くのトルコ国民に名前の通ったアーティストとして有名な人物でした。トルコの政財界にも広く顔がききますし、国賓へのトルコの産業と文化上の案内役から、国営事業としての観光から民芸品までの総合的開発にあたっての顧問なども勤めており、世界博覧会などにトルコが国として出展するような場合には、パビリオンのコーディネートはほとんど常時一任されるといったような立場にある人物です。だから交流を深めたというわけでもなく、何より彼と私は初対面の瞬間から馬が合ったとでもいうのでしょうか、以来急速に親交を深め、トルコで製品を制作する際には常に間に立てていた私達の会社のテクニカルコーディネーターでもありましたし、私自身深く信頼を寄せていましたから、私の責任において前述のような経済的支援もしていました。私達の会社も設立以来常に資金繰りには窮してきましたから、彼の苦労は他人事ではありませんでしたし、当時スイスのジュネーブでのエキスポに出展するトルコパビリオンのための、遅れが生じていた各種オブジェ制作が終了して代金が回収されれば返済される目処も立っていましたし、日々それらの制作状況も彼のアトリエでいつも見ていましたから、その資金流用の事実を知るまでは、私には一点の疑いの要素もありませんでした。

彼は近く国の保証により大型の融資が受けられるので、彼は自分が責任を持ってマネージして迷惑はかけないと、私を納得させようとしていました。私はアーティストとしての彼には絶大な信頼を寄せていましたが、経営者としての彼への信頼感はもとよりありませんでしたから、彼の会社の内情にも深く立ち入ったうえで経済的支援もしてきたのですし、そんな彼に相応な立場を与えたうえで、彼の会社を最終的には買い取ってしまおうと考えていたほどでした。それに、そんな融資が可能であるならば、私も熟知しているような経営状況にまでも追い込まれなかったことは容易に推察もできました。そんな彼の弁を信用してただいたずらに時を過ごすことなど論外という判断で、その翌日からの私は、もちろん合法的な範囲ではありましたが、それでもとてもここでの記述が憚られるような方法論までも含めたほとんど手段を選ばぬ考えうるすべての資金調達活動に奔走せざるをえなくなりました。そもそもそんな融資話が実在したのかどうかも疑わしいところですが、いずれにせよ当然のことながら彼は流用した資金の穴埋めはまったくできずに終わりました。

最終的な製品を完成させるために必要なほとんどのパーツ制作は、彼の会社を通して二次下請会社以下に発注をかけていましたから、私達の会社としては、それまでの着手金と中間金の支払い分、つまり受注総額の2/3のほとんどを二度払いしなければならなくなり、それが調達できなければ製品もシッピングされずこの案件自体が空中分解してしまうわけですから、私が資金調達できた端から次々とパッキングに入るという繰り返しの日々でした。常識の範囲をはるかに逸脱した経緯を経て最終的には何とか必要額を調達できたのですが、調達が遅れた分そのままシッピングも遅れていくわけで、前述のように当初3回のトラックによるパーシャルシッピングのうち後の2回分については、エアーシッピングに切り替えざるをえなくなり、最後のシッピングはジャンボ貨物機のチャーターまでも、それでも間に合わない分はハンドキャリーまでしてドイツに運ぶこととなり、私達の会社の損失金額は、もはやその時点では私にすら解らなくなるほどの始末でした。

当時の私はもちろんのこと私達の会社のスタッフを支えていたのは、どんなことをしてもこの案件は必ず収拾させるという固い覚悟だけでしたし、今後どんな過酷な状況に置かれてもクリアしていけるだけのもうこれ以上はあり得ないと確信できるだけの厳しい日々が、オープニングレセプションの数時間前まで続いていきました。男女スタッフはその頃にはもはや宿泊も同室、シャワーを浴びる気力もなく着の身着のまま、歯を磨いている途中で歯ブラシを口にしたまま気を失うように眠ってしまうような連日ほぼ徹夜に近い、ナイフとフォークにふれることもないばかりか座って食事もできないような毎日が続きました。

トルコから連れて現地入りした職人達のホテル代はおろか日々の食事代にも事欠くような想像を絶する経済状況で、もはや当初計画していた現地での荷下ろしと搬入、備え付け、電気の配線などの現地での作業を依頼する業者への発注もできないような状況でしたから、ヨーロッパ全域に拡がるトルコ人同志のネットワークに頼ることから始め、それでも追い付かない最後にはその筋のボスに若い方々を出していただいたり、ストリートボーイのネットワークに頼ったりまでもして、何とレセプションパーティー当日の開始数時間前の段階でようやく体裁をつけることができたのです。

それからまた百貨店の開業後も延々と約10ヶ月にわたって毎日閉店後の手直し工事が続き、中途半端な対応だけは決してすまいと全員で誓った私達は、仕様を遵守できなかった箇所や不具合が生じた箇所については、再度制作し直しての交換という原則を貫きましたから、さらにそれから私達の会社の損失はさらに増大し、最終的には受注総額の3倍の支出を計上してしまいました。実質的には完全に倒産状態でしたが、自分達がつぶさない覚悟さえ持てば、どんなに赤字であろうと会社の継続は可能ですから、それから自主休眠による再建作業に入り、現在もなお再建の過程にある私達にとっては、まだこの案件は延々と続いているのです。

 

▼Failure         
  >file#1-4
   〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩・その4〜 に続く

 

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