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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第10号■□■


≪CONSIDERATION≫
21世紀を生き抜く負けないビジネス
〜何も始めないほうがいい。でも一度始めてしまったら、最後までやり通すしかない。
「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」

かつての王国とまで呼ばれるほどの隆盛を極めた日本最大のスーパーマーケットチェーンを築き上げ、経営の神様あるいはカリスマなどと賞賛されてきたにもかかわらず、今や凋落著しく再建中のその会社経営から退き、今度は世間から非難中傷を受け続けるもはや初老の彼についてのあるTV番組で、経営に関わった40年間を振り返っての彼自身の弁として紹介されていました。

何とまたせつない弁なのでしょうか・・・。私はため息で胸がいっぱいになってしまいました。

仕事柄私は企業のトップが直接顧客の窓口である場合が一般的なので、大手企業のトップから個人商店主まで、これまでに様々な経営者達を傍らから見つめてきました。

もちろん例外も多々ありますが、少なくとも私が出会った経営者達のほとんどは、というよりも広く世間一般的に、外見や世間の評価とはうらはらに、経営者とは大抵の場合とても孤独であると言えます。

よくて孤高とでもいうのでしょうか、まれに自らの在り様に対して納得をして、そうした孤独な人生を前向きに楽しんでいらっしゃるような方もいらっしゃいましたが、信頼でき相談できるような相手すらもいない、仕事一筋の生活の代償でしょうか、悪ければ家族からすらも見放され、毎日の食事相手にも事欠いてしまうような、その外見からは遠くかけ離れた狂おしいほどの孤独な日々を過ごしていらっしゃるような方もいらっしゃいました。何千人何万人もの社員を抱える大企業のトップがです・・・。

チャネリングしてしまうように私までせつなくなってしまうような今回同様の極端な例としては、経営者とは性格が異なるものの、もう故人となってしまいましたが、副総裁まで昇り詰め、現役の時代には自他ともに認めた政界の実質上のドン、あるいはまた、やはり先頃倒産してライバル百貨店に買収された老舗百貨店のカリスマ経営者、彼らのように社会的なステイタスの高さや有り余るほどの富とはあたかも反比例をするかのように、多くの場合経営者の孤独度は高まっていく傾向にあるようです。

 

それまでの人生において、どれだけの成功を収めて社会的名声や富を築こうとも、名声はその人に迎合し利用しようとする人々と傍観する第三者によって作られるものであり、また金も天下の回り物である以上は、なかなか同じ人物のところにいつまでも留まるものではないこと、また成功者達の興亡と、それにつれて手の平を返したように態度を豹変させる周囲の取り巻き達の変わり身の速さの様子は、昨今とみに世間ー般日常的に見受けられますし、また万国共通の現象であるとも言えます。

大きな社会的名声や富を築くには、その人物本人にももちろん非凡な才能や人並はずれた努力などという成功の根拠があってのことであるのは当然のことですが、リーダーとしての成功者とその人物を取り巻く大勢の人達の思惑が交錯する総合的な結果こそが、その人物のあるいはまたその人物を中心とする組織としての社会的成果であると言えます。

また私達の誰もが同じ経済社会において活動をしている以上、ある程度の基準の成功を収めるあたりで成功者は、最初の大きな別れ道に直面するというーつの共通の傾向が生じてきます。

大雑把な一つの基準ですが、世襲などによらずゼロから起業するケースを想定するとして、最初の分岐点は年商1億円あたりで訪れます。

何十年ある一つの仕事に励もうとも、年商1億円の壁を越えられない中小企業の経営者は、世の中に驚くほどたくさん存在しています。年商を上げて企業規模を拡大していくことだけを良しとする考えを私はまったく持ってはいませんし、ここではあくまで世間一般の事実分析を意図しての言及です。

この年商1億円をコンスタントに上げていけるようになるためには、従業員の役割分担やそれに伴う責任の所在が明確に示され、そして日常業務における報告・連絡・相談の流れが円滑に機能するといったような、最低限の会社組織としての体(てい)を成していく必要性がありますし、その結果として相応の会社としての企業理念や公共性なども要求されるようになります。

創業当初からこうした基本的事柄をしっかりと整備し、また実際の商品やサービスという供給が世間の需要とマッチして、幾何級数的に企業規模を拡大していくような経営者も、少数ながらもちろん存在します。

多くの起業家は、段階を追って徐々に会社を成長させていくことになりますが、例えばお山の大将的な人物や、猜疑心や独占欲が強く他人を信頼できない何でも自分一人でやろうとしてしまうような人物が経営者である場合には、なかなか個人商店的体質から脱却できませんし、たまたま単発的に相応な利益を上げることはできたとしても、コンスタントに1億円の年商をあげ続けていくことは相当に難しいものなのです。

この1億円の壁を越えてしまうと、次に100億円の壁が訪れます。いきなり金額が上がってしまうようですが、大抵の場合1億円の壁を越えることがてきたうちの多くの会社組織は、その方針や方法論の延長上の努力によって、数十億円規模への成長はさほど難しくはないものです。ある一定規模に組織がさしかかると、その基準の経営ノウハウの半自然的流入やら相応の経済社会システムの恩恵が、優れた人材の雇用やら金融機関や各種サービス会社との交流などという形で享受できるようになっていくのです。

年商100億円の壁を超えられる会社はなかなか存在しないものです。この基準にある会社組織においては、株式の上場も視野に入ってきますし、クオリティーの高い商品あるいはサービスはもちろんのこと、完成度の高い組織体系、強固な財務体質、普遍的で公共性の高い企業理念などといった企業としての安定した社会的評価と力量が要求されるようにもなります。

また世襲から脱却するということも、企業の成長のためには重要な要素と言えます。世襲は組織を硬直化させる主因となりますし、公共化とは正反するものですから、創立から長期間を経て同族企業から脱却した後に急成長するような企業も多く見受けられます。

もちろん例外もあります。前述の「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」と話す経営の神様とも言われた初老の彼、故人となった元政界のドン、元老舗百貨店のカリスマ経営者をはじめ、世間には一代で巨万の富と名声を築き上げるような人物の存在も決して珍しくはありません。もはや過去となって久しい以前の高度経済成長の過程においては、そうした成功も今あるいはこれからの時代においてほどは難しいことではなかったと言えるでしょう。

 

しかし、たとえ一代で大企業を築き上げようとも、経営者がその企業においていかなる強大な権力を振るおうとも、企業の規模が巨大化すればするほど、企業はその経営者の手から離れて一人歩きを始めるようになります。企業としての成果は、経営者自身によるばかりでなく、取り巻まいている迎合し利用しようとする社員達や取引先、ひいては傍観する第三者の思惑までもが交錯する総合的な結果によるものだからです。

創業オーナー経営者であればなおさらのことですが、大企業においてポジションを上げれば上げるほど、自らの社内外への影響力は高まりますし、自らの存在の本質を見失わずにいることは至難の業であると言えます。経費を湯水の如く公私の境を限りなく曖昧なまま使えますし、自ら裁量できる予算額も、一般人の想像の範囲をはるかに超えています。

いくつか私の知る実例を挙げれば、あるスーパーゼネコンの社長は、独断での東南アジアでのインフラ投資事業に300億円近くを焦げ付かせたままうやむやにしていましたし、あるベンチャー企業の名物社長は、一夜を共にしただけの女性にマンションを買い与えることで有名です。

ある大手広告代理店の社長は、丸投げ外注時に必ずプライベートペーパーカンパニーを経由させることで中抜きをしているばかりでなく、その収益を豪華別荘やクルーザー、あるいは美術品などへのその会社としての事業経費として、あるいはまた家族や親戚名義の賃金名目などで計上し、結果として全体の決算を赤字経営にすることでほとんど税金も納めていませんし、専属お抱えの公認会計士を通して申告することで税務署の追及もかわしています。

元政界のドンは、外遊時に200名を超える派閥議員をはじめ取り巻き随行団を従えてきましたし、膨大な食材や調理器具の運搬係を兼ねる五人のアシスタントを従えた専属調理人と、三人の若く美しいマッサージ嬢?を同行させ、上下のフロアーを含めた3フロアーを貸し切ったホテルの一泊100万円からの豪華静寂なインペリアルスイートルームで、朝からバスローブ姿の全身を三人の美女にマッサージをさせながら和食の会席フルコースに舌鼓を打っていました。

もちろんかなり極端な例を挙げてはいますが、それらも程度の違いだけの問題であって、巨万の権力と富を手中にした人物達とその家族の日々の生活の実情は、一般人の想像の範囲をはるかに逸脱していますし、本人達も自らの何たるかを見失ってしまっている様子を、私はこれまでに日常的に観察してきました。

それにしても、世間には驚くほどたくさんのお金持ち達が存在しています。直接その人物を知らない第三者にも名が通っているような基準の特別なお金持ちだけに限ったことではなく、彼らの多くの生活の実情は尋常ではありません。ごく普通の暮らしをしていたのでは、有り余るお金も使いきれるものではありませんし・・・。

毎年長者番付が公表されてマスコミを賑わせますが、彼らの多くはこうした番付には登場してはきません。程度の差こそあれども、前述のような様々な税金対策を施しているからです。ここで話題にしているような人物達は、なかなか世間の目立つところに登場してくるものではないのです。

 

このようなお金持ち達、そして大抵の場合相応の社会的立場も有する人物達の仕事と生活の実情は、容易く彼らに物事の本質を見失わせ、また自らの在り様を錯覚させてしまうもののようです。

私もこのところ個人の顧客を中心として、間に第三者のインターミディエーターを介在させない直クライアント契約形態にシフトしてきていることもあって、めっきりとそういう場面に遭遇する機会は少なくなりましたが、以前は今自ら考えても呆れてしまうような様々な馬鹿げた出来事に満ちた日常を過ごしていた時期があります。

実例を挙げだせば、またきりがありませんが、ある取引先の秘書室長、彼は実際その大手企業のナンバー2として社長の懐刀(ふところがたな)的な存在だったのですが、ある日彼が私とアシスタントの二人を接待してくれた時がありました。

招待されたレストランとは、その彼の会社が出資もしている世界からのVIPの接待に利用するような特殊な会員制レストランで、表立っての宣伝などは一切しないため一般にはその名も知られていない、ほとんど内々の取引先だけがメンバーとして利用するようなプライベートスペースです。

そのレストランは、とある都心の有名なオフィスビルの地下にあるのですが、特に看板もなく、もともと知らなければ誰にもその存在は判りません。

まるで閉鎖されているかのようなプレートすらもない重厚な巨大な木製の扉をノックすると、タキシードスタイルの支配人がエスコートに現れます。私達が訪れた時には、取引先の秘書室長、当時推進していた案件をオーガナイズしていた女性デザイナー、それに私とアシスタントの四名でした。私達はそのデザイナーを全面的にサポートしてすべてのコーディネーションをする立場でその案件を請け負っていたのですが、後述するようにそのデザイナーの存在の大きさによってそんな特別な接待を受ける機会を得たというのが正確なところです。通常接待とは、仕事を受注する側が発注する側のキーマンに対して行うもので、私の会社は仕事を受注する側だったのですから・・・。

エントランスを入ると、そこは軽く2フロアー分はあるであろう高い天井のロビーです。ここは設計の段階から地下にこのようなスペースをプランしてビルが建てられたのだろうかなどと考えてしまいました。

このレストランの常連である私達を除く二人に対する丁重な支配人の挨拶の後、長々と大理石の床に長いカーペットが敷かれ、壁には本物なんだろうなと思わず苦笑してしまうような著名な絵画が連なる美術館のような廊下を支配人のあとに付いて歩いていくと、テーブルの間隔を驚くほど離してレイアウトされた広々としたホールのようなスペースが現れます。

そこにはピアノとギターとボーカルだけのシンプルなトリオの生演奏が入っていて、着飾った若者ばかり男女100名ほどが談笑したり、ダンスをしたり、ビリヤードやダーツに興じたりと、思い思いのスタイルで楽しんでおり、後で聞いたところによると、それは某大手企業の社長ご子息の誕生パーティーなのだとのことでした。

その貸し切りパーティーが催されている中央の広いホールの脇に、それぞれまた異なったインテリアのいくつかの仕切られたスペースがホールを囲むように設けられていて、それらのスペースの奥には完全に閉ざされたいくつかの個室が並んでいます。

中央の広いホールと深いレザーのソファーがゆったりとレイアウトされた暗い照明の落ち着いたバーのようなこじんまりとしたスペースの間を通って一番奥の個室にエスコートされ、個室の中央の通常のテーブルを六つほどつなげたほどの大きなテーブルに着いた後に支配人がドアーを閉めてしまうと、余程防音の設備がしっかりしているのでしょう、ホールの喧騒が嘘のようにまったく聞こえなくなってしまい、お互いの息遣いまでもが聞こえそうなほどの静寂さに包まれます。

支配人が何かお好みの音楽をおかけしましょうかとホストである秘書室長の方を見て尋ね、今夜はゆっくり静かに話したいからと彼が聞き慣れないリクエストをすると、ゆったりとしたピアノのコンチェルトが静かに流れ始めます。本日はどんなものを差し上げましょうと、おそらくメニューも存在しているのでしょうが、支配人が聞いても私にはどんなものなのか想像もできないような一通りのリコメンデーションを始めます。するとデザイナー女史がそれを途中で遮って、今夜はもっとさっぱりした和食がいいなどと唐突にのたまうではありませんか・・・。

それならどうしてわざわざこんなレストランに来るのかと内心私が驚いていると、また支配人が平然と当然のことのように女史のお好みを尋ねるのです。

あれを少し食べてはまたこれを少し、そしてまた次の気分に合わせてまた少しと、素材と調理法が絶妙に調和し、美しく盛り付けられた様々な和のテイストをべースにした大きなプレートがー品ずつ運ばれては、支配人のオブザーブのもと二人の端正なウェイターが各自のプレートにとり分けてくれます。味見プラスアルファー程度の分量ですから、無理なくたくさんの種類の料理を楽しむことができますし、もちろんその都度シルバーもプレートも交換されます。

海鮮類は、微妙に火が通してあったり、素材の持ち味を引き出すそれと判らないほど薄味の独得なたれとからめてあったり、あるいは巻いたり載せたりの様々な珍しい野菜を付け合わせたりと、老舗有名寿司屋をしのぐ新鮮さと繊細さ、また山の幸にしろ肉類や野菜類にせよ、出されたものの素材や調理法が味わってみてもなかなか判らないほど微妙な複雑さで、痛快なまでに小気味よく見た目の予想を裏切り続けてくれるのです。

また飲み物も特筆に価するものでした。

食前酒は各自が好みのものをということで、ウォッカやシェリーやシャンパンベースのカクテルをそれぞれオーダーしたのですが、食中酒には支配人のリコメンデーションにより、それぞれ料理に合わせてと赤と白の両方のワインをオーダーしたのです。

それがまたそのレストランのスタッフがわざわざたったその一本のみの買い付けのためにイタリアまで飛んでハンドキャリーをしたばかりとの赤ワインで、ラベルは普段私も時々愛飲するポピュラーなものなのですが、また淡々とした支配人のさらなる説明の内容は忘れてしまいました。

白ワインもその時期に訪れる特別なゲストのために、もう何年も前からその時期の開栓を想定してワインセラーで熟成させてきたという、これはもう見たことも聞いたこともない珍しいラベルでした。

そのいずれのワインも、確かに香りといいカラーといい、そしてもちろん味といい素晴らしいものではありましたが、何より私が驚いてしまったのは、後でサインをするホストの手元をさりげなく盗み見てしまった、何と赤ワインの50万円弱、白ワインが35万円強という請求金額でした。

一体どれだけの種類の料理が運ばれてきたのかももう判らなくなってきた頃、まあそれでもまだお腹にはやや余裕を感じるほどだったのですが、突然女史が「私はやっぱりお茶漬けかな・・・???」とつぶやくようにのたまうと、すかさずホストの秘書室長は「俺は雲丹丼!」と即座に返します。またジョークかと思いきや、いやいやそれまでの経緯からすれば何でもありだろうなどと考えていると、「お二人は何をお召し上がりになりますか」とまた真顔の支配人に尋ねられてしまい、私はアシスタントと顔を見合わせながら何も頭に浮かばなかったので、女史と同じものでとお茶漬けをオーダーしました。

そのお茶漬けたるや、何とも幸せで一杯の気分にさせられる香り高く奥深い出し汁、鮭や昆布や干物のような小魚をはじめ何種類もの具が美しく盛り付けられ、そこにまたあられのようなものと海苔と三つ葉があしらわれていて、その味たるや目の覚めるほどの、お茶漬けも極めればここまで来るのかと感慨深い気持ちになってしまうほど素晴らしいものでした。

デザートは、何十種類ものケーキの中から各自がいくつか好みのものを選んで少量ずつ盛り合わせたものに、さらにフルーツやシャーベットをあしらった大皿です。甘さを控えた上品な味わいでしたが、さすがに私は食べきれず、ダブルのエスプレッソをおかわりしてしまいました。

そんなこんなで食事が終わり、場所を移すことになるのですが、レストランを出る段になってさりげなく会社に回すように指示しながらサインをするホストの秘書室長の手元の伝票を覗き込むと、何と請求金額は140万円弱にも及んでいたのです。

その約半分は2本の高価なワインであるとはいえども、たった一度の食事にこの代金・・・、ましてやこんなところを日常的に利用しているこの二人、さらにはホールを貸し切ってのあれだけの人数による誕生パーティーの総予算は一体・・・、などと考え始めると、まさに本当に開いた口がふさがらないまま顎をはずしてしまいそうな気分になってしまいました。

毎晩こんな馬鹿げた金額を支払って食事をしているとまでは思いませんが、少なくとも彼らにとっては、ごく日常的な何ら特別な出来事ではないのでしょう。

 

第11号 21世紀を生き抜く負けないビジネス・その2
 何も始めないほうがいい。でも一度始めてしまったら、最後までやり通すしかない。
 「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」/その2   に続く

 


≪EPISODE≫
 ▼Failure
  >file#2-1
   〜間違いだらけのウェブビジネス・その1〜

上記CONSIDERATIONが長編に及びましたので、次号に順延させていただきます。

 

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