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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第9号■□■

 

≪CONSIDERATION≫

ブレイクイーブンの経営・その4

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→第7号からの続き

私達の経済社会が、少数の利用する側の多くの人の既得権益を守るための論理によって形成され、圧倒的多数の利用される側の多くの人が利用する側に隷属して積極性と主体性を失ってしまっているような悲観的な現状においては、低迷し日々深刻化しつつある混乱と破綻のスパイラルから脱却していける日はまだまだ遠いと判断せざるをえません。

 

世界の富の約三分の二をほんの数パーセントに過ぎない少数派が独占し、また企業による保有という形で日々蓄えられ社会に還元されずに眠っている膨大な資産、それならまだしも事業が細って経費を賄いきれずに保有を日々食い潰している、またなりふり構わず体力のあるうちに統廃合を繰り返しつつ末端の系列会社や人材から切り捨てていくかつての優良企業の増加、たかだか十数パーセントの自己資本比率で優良とされる、また比率一桁でも当たり前といった銀行および金融省庁のまやかし、膨大な債務返済の可能性どころかその弁済意思すらも放棄しているに等しい政府・・・、もはや私達の経済社会はとうに破綻をきたしている、究極論根源的にはそもそも経済なるもの自体が実体のない絵空事であるという事実に気が付かない、もしくは目を向けようとしないままの状態を私達がこれ以上続けていくことは困難となってもう久しく、このままではやがて事実上不可能となる完全破綻の日を迎えざるをえなくなるでしょう。

一つの家庭や中小企業の破綻は、簡単に訪れます。その会計の規模が小さく、流動資金がすぐに枯渇してしまうからです。大企業あるいは自治体や政府といえども、本質的には何らの違いもないのですが、会計の規模に比例して流動資金が枯渇するまでの期間も長くなりますから、なかなかその破綻の実情が表面化しにくいのです。ましてや税金をベースにしている自治体や政府は、流動資金が枯渇することがないだけに、日々深刻な状況打開を先送りにしつつ負債を増大させていくだけの諸悪の根源的存在になってしまっている事実は否定できません。

既得権者達に改革を期待したところで、何も変わりはしません。変えたくない人達が変える努力を払う必然性がないからです。改革は私達一人一人の総意によってしか実現しないのですから、まずは一人一人が組織や体制への依存心従属心を捨て去り、現状への正しい認識と将来の展望を持ち、自らの言動に対して責任を持ちつつ、公正かつ公平な社会づくりに主体的積極的に参画していくことから始めていくことが必要です。そして現状の経済社会の一部に偏在する莫大な富を如何に広く社会に還元し、私達の多くに自立独立の機運と機会を与え、社会的弱者や競争の敗者救済の仕組みを整備していくこと、こうしたことこそが真の経済構造の改革というべきものなのです。

 

ドラマティックかつドラスティックな経済構造改革のための具体的手法としては、事前の予算計画に基づく明らかに必要な分だけの徴収制に切り替えること、企業の規模に応じた保有金額の上限を定めたうえで、投資やあるいは起業家支援のための共同基金への資金供与を強制化する、また一定規模以上の企業に対する途上国進出と現地で獲得する外貨の当事国外への持ち出しを禁止するような法案づくり、ペイオフの廃止による上限のない個人預貯金の完全保護とその反面での相続と贈与のひいては世襲を禁止する法制化、国内のすべての不動産の買い上げと不動産事業の国有専有化、職種ごとの人材登録と民間企業への期間契約による派遣をする機関の創設による雇用の安定と人材の企業間流動化、自己破産制度の廃止と債務者救済基金さらに強制労働施設の創設による債務免除を認めない仕組みづくり、義務教育過程終了後三年間の強制労働期間の法制化、無審査医療専門融資機関の創設と老人ホームおよびホスピス、ならびに孤児の生活保護と職業訓練施設の拡充などなど、私たちの生涯生活の安心を保障していくことを目指しての様々例えばこのような思い切った本質的抜本的対策が必要でしょう。

また、何より重要なことが、このコラムのテーマでもあるところの不必要なまでの保有を貯め込まず、経費をふんだんに使い、また積極果敢な新たな投資をしていく、また私達の幸福を豊かに彩るような社会性の高い事業展開をブレイクイーブンの経営により目指していくことであり、そして同時に私達が今後生活をコンパクトにしていきつつ、さらなるデフレによる価格水準を引き下げて内外の価格差を縮小したところで機能していけるだけの新たな経済社会構造を創り出していくことだと確信しています。

持たざることがクールな時代である二十一世紀社会において、私達の国日本が自由競争資本主義社会の成長から成熟の過程への、そして競争から協調関係に移行していくための新たな仕組みを創造していくことにより、真の世界のリーディングカントリーとして世界平和と安定の、そして地球環境の再生に向けての大きな貢献をしていける存在たりえてほしいと、心から私は願っています。

 

 

≪EPISODE≫

 ▼Success or Failure???
  >file#1-4
   〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩・その4〜

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何はともあれ私達スタッフ全員は、その案件を収拾させて百貨店のオープニングを迎えるまではがむしゃらに息も絶え絶え走り続けてきましたが、手直し工事に入って若干の落ち着きを取り戻してからも日々様々な出来事がありました。

物事がうまく進んでいるうちは、人間関係も放置していたところで良好に保たれますが、問題が生じたり窮地に陥って始めて人物の本質的な人となりや力量は明らかになるものです。その案件の失敗により、それまでの仮面は見事に剥がれて、人間関係は大きく様変わりをしました。程度の差こそあれども立場や責任を放棄して逃亡する者、なりふり構わず自らの保身にのみ終始する者がほとんどでしたが、逆にもはや一心同体心中するまでとばかりに私と運命を共にしようとする者もありました。

もともとこの案件を失敗に導く原因となった一次下請会社のトルコ人社長は、オープニングの三日前のまだ納品も終わらない段階で職場放棄してしまいました。そのまま放り出そうかとも思いましたが、もはや無一文の浮浪者同然の彼にエアーチケットを買って空港までのタクシー代を渡して帰しました。そんな人物を信頼した私自身の過ち以外の何物でもありませんし、野垂れ死にされても後味が悪いと考えてのことです。それでも別れ際に握手を求めるもはやただ邪魔で疎ましいだけの彼の手を振り払って現場から追い出しました。

直接の契約先であるところのスーパーゼネコンドイツ現地法人の担当者たるや、見事に全員が自らの保身に走りましたし、下請けの破綻は私達の会社の責任との一点張りですべての損失を被せてきたうえに、そもそもこの案件の契約時の約束であった抱き合わせ物件発注の約束も反故にされてしまいました。

その時点で私達の会社は完全に破綻をきたしていましたから、手直し工事を完了するために必要な資金の融資を直接社長に申し入れたのですが、他の担当者達は逃げ回る中で社長には、頭を応接室のテーブルに付けるようにしてストレートに謝罪され申し入れを拒否された時には、もはやこのゼネコンに対してのすべての期待感を捨て去って私は覚悟を決めました。

私達の会社を倒産させ、ゼネコンが私達に強いた同様の論理ですべての負債をゼネコンに回すこともできましたが、それまでの努力を無にしたくはありませんでしたし、何より私達は自らの尊厳を守るためだけに、手直しを依頼指示された箇所はもちろんのこと、私達の会社の尺度で支障を認めたものについては、すべてを一から再制作のうえで差し替え交換する方針を貫くために、必要な資金調達から手直し工事完了までそれから約10ヶ月もの期間を要して、そしてようやく帰国することができたのです。

その手直し工事には、もはや運命共同体といえるような信頼し合えるスタッフだけで取り組みましたし、これも基準と程度の差こそあれども、あてにならない社員は切りました。また本工事で関わった国内外の業者も一社のみ残して他はすべてはずしました。女々しいだけの覚悟の定まらない連中とは、もう一切顔を突き合わせたくもなかったのです。

その手直し工事の過程において、新たにコーディネーターとして起用した以前からの知り合いであったトルコ人、そして資金と人材の両面で支援をしてくれたマフィアのボスとの出会いなくしては、おそらく手直し工事を完結させることはできなかったと思いますし、既に他界してしまった私のかつての恋人であった日本人女性の当時の奔走と、また現在につながってきている深い信頼と愛情で結ばれている当時から物心両面で私を支え続けてくれた日本人女性二人の存在は、私にとっては最大の財産ですし、何物にも代え難いもはや私の存在の一部であるといっても過言ではありません。

失敗は成功への、そしてその成功はまたさらなる失敗への一つの過程に過ぎないということを、私はこの案件の失敗と今日もまだ続く事業再建の過程で学びましたし、成功の条件とは、決して途中であきらめないでやりかけたことは最後までやり通す覚悟を持つことと、同じ過ちは繰り返さないこと、そしてまたパートナーを裏切らないということに尽きると確信しています。この摂理に沿った生き方をまっとうしていくことによって、第三者の視点や価値観によればどのように認識をされたとしても、事実どれだけ厳しい状況に置かれようとも、私自身は自らの尊厳を守りつつ心安らかに日々を過ごしていくことができますし、遅かれ早かれ必ずやこの案件を収拾して事業再建を果たせるという確信を持ち続けることができるのです。

この物語には、手直し工事完了から今日に至る過程において、まだまださらなる波乱の続きがあるのですが、その経緯についてはまたいずれ別の機会に触れたいと考えています。

 

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