DAILY SHORT COLUMNS - Daily Business -

 
2002.04.22 「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.5

多くの起業家は段階を追って徐々に会社を成長させていくことになりますが、例えばお山の大将的な人物や、猜疑心や独占欲が強く他人を信頼できない何でも自分一人でやろうとしてしまうような人物が経営者である場合には、なかなか個人商店的体質から脱却できませんし、たまたま単発的に相応な利益を上げることはできたとしても、コンスタントに1億円の年商をあげ続けていくことは難しいものなのです。

この1億円の壁を越えてしまうと、次に100億円の壁が訪れます。いきなり金額が上がってしまうようですが、大抵の場合1億円の壁を越えることがてきたうちの多くの会社組織は、その方針や方法論の延長上の努力によって、数十億円規模への成長はさほど難しくはないものです。ある一定規模に組織がさしかかると、その基準の経営ノウハウの半自然的流入やら相応の経済社会システムの恩恵が、優れた人材の雇用やら金融機関や各種サービス会社との交流などという形で享受できるようになっていくのです。(続く)


2002.04.21

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.4

大雑把な一つの基準ですが、世襲などによらずゼロから起業するケースを想定して、最初の分岐点は年商1億円あたりで訪れます。

何十年ある一つの仕事に励もうとも、年商1億円の壁を越えられない中小企業の経営者は、世の中に驚くほどたくさん存在しています。年商を上げて企業規模を拡大していくことだけを良しとする考えを私はまったく持ってはいませんし、ここではあくまで世間一般の事実分析を意図しての記述です。

この年商1億円をコンスタントに上げていけるようになるためには、従業員の役割分担やそれに伴う責任の所在が明確に示され、そして日常業務における報告・連絡・相談の流れが円滑に機能するといったような、最低限の会社組織としての体(てい)を成していく必要性がありますし、その結果として相応の会社としての企業理念や公共性なども要求されるようになります。

創業当初からこうした基本的事柄をしっかりと整備し、また実際の商品やサービスという供給が世間の需要とマッチして、幾何級数的に企業規模を拡大していくような経営者も、少数ながらもちろん存在します。(続く)


2002.04.20

代理母斡旋のコミッション Vol.4

不適切な業者は、依頼さえしなければ自然陶汰されていくのです。まずは公序良俗に反する存在を認めない良識、また供給者の選択責任、さらに万ー何らかの問題が発生した際の解決責任といった相応のリスクを負う勇気が必要です。

人がニ人寄れば、そこには上下関係が生まれます。利用する者とされる者です。さらに大勢人が集まれば、少数の利用する側のグループと大多数の利用される側のグループに別れるのは、万国共通世の常なのです。

利用する側は、自分達の都合の良いように社会のルールや仕組みを創り上げます。利用される側は、ただ盲目的に、あるいは疑問や不満を抱きつつも、良心や勇気を持てないで黙って利用する側の論理に従がう結果になります。そのようにして現状の不公平な偏よった社会が出来上がるのです。

しかし、歪は補正されていくのが自然な存在の摂理ですし、21世紀の初頭は利用され続けた側の反逆の時代となっていくでしょう。私達の国においては、まだまだ利用する側の危機意識から生じる防衛の範囲を出ていませんが、世界的には利用される側からの反逆は既に始まっているのです。(続く)


2002.04.12

代理母斡旋のコミッション Vol.3

この代理母斡旋ビジネスの在り様には、現状の私達の経済社会構造が象徴されています。

医療機関と斡旋業者そして代理母本人というトライアングルを考えるに、医療機関への費用と代理母本人への報酬金額は、ここではやむおえずそのままと判断するとして、クライアントである依頼者の意識の持ち方ーつで、斡旋業者への報酬金額など何とでもなっていくのではないでしょうか。いずれにせよ代理母本人への報酬よりも50%も高額な業者への費用などは、私には馬鹿げているとしか思えません。ビジネスの常識から判断して、代理母本人への報酬金額の25%程度が適性、マキシマム50%という基準がせいぜいといったところなのではないかと思います。

しかし現実には、この代理母斡旋ビジネスに限らず、このような本末転倒の例は世間にはごく普通に横行しているのですし、支払うクライアントとしての立場でこうした歪みを是正していくことから、つまり私達が健全かつ適正な消費を心掛けていくこと、そしてひいては自らの商業活動を考えていくことからしか、経済構造改革など進展していくはずがないと私は思うのです。(続く)


2002.04.11

代理母斡旋のコミッション Vol.2

自分達では何もしないのにとまでは言いません。それにしても斡旋業者が実際に果たす役割やその労働のボリュームから判断して、たとえ何らか問題が発生した際に果たす責任の度合いを考慮したとしても、やはり報酬が高額すぎると、私には思えてなりません。

普段多くの人達がごく当然の常識として認識させられてしまっている現状の経済構造は、経済成長の過程においては表面化しなかったものの、昨今様々な深刻な問題点が露呈してきているように、本来あるべき永続性が期待できる自然な形態からすれば、はなはだ歪(いびつ)で不自然な構造を成していることに、もうそろそろ私達の多くが気付いてもよい頃かと思います。

頭が大きく重すぎて、もはや身体が支えきれずに倒れ込んでしまう寸前にあるのが、現状の私達の経済社会の構造です。大きすぎる政府や企業の管理職の規模を縮小する、あるいは要する経費のバランスを逆転させて、数のうえでは少数派であるにもかかわらず、彼らが収益の大きな比重を独占している現状を打破していくことこそが、昨今求められている構造改革そのものなのです。(続く)


2002.04.10

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.3

それまでの人生において、どれだけの成功を収めて社会的名声や富を築こうとも、名声はその人に迎合し利用しようとする人々と傍観する第三者によって作られるものであり、また金も天下の回り物である以上は、なかなか同じ人物のところにいつまでも留まるものではないこと、また成功者達の興亡と、それにつれて手の平を返したように態度を豹変させる周囲の取り巻き達の変わり身の速さの様子は、昨今とみに世間ー般日常的に見受けられますし、また万国共通の現象であるとも言えます。

大きな社会的名声や富を築くには、その人物本人にももちろん非凡な才能や人並はずれた努力などという成功の根拠があってのことであるのは当然のことですが、リーダーとしての成功者とその人物を取り巻く大勢の人達の思惑が交錯する総合的な結果こそが、その人物のあるいはまたその人物を中心とする組織としての社会的成果であり、また私達の誰もが同じ経済社会において活動をしている以上、ある程度の基準の成功を収めるあたりで成功者は、最初の大きな別れ道に直面するというーつの共通の傾向が生じてきます。(続く)


2002.04.07

久しぶりの経験・印象の変化 Vol.4

もはや政界の構造を根底から改革していかないところに、私達の社会の構造改革などありえません。しかし、その構造改革は、現状の構造において利益を享受する立場の既得権者達に対して、あるいはまた改革を必要としている組織に帰属している当事者達に対して推進を期待したところで、進展していく道理がありません。

現状構造改革を叫ぶ者も、またその推進を期待する者も、誰もまだその方法論はもちろんのこと、その方向性を認識することすらおぼついてはいませんし、心からその必要性を信じている人も、実のところはさほど多くはないのです。それぞれの立場の人達が自らの立場を守る為だけに発想し行動しているに過ぎない昨今の現状においては、本来あるべき方向には何も変わりはしません。

それでも、与野党を問わず日本の明るい未来を創るプランが実際に立案提起されるような時には、その実現に向っての彼の純粋さや柔軟性には期待が持てるのではないかと感じます。もちろん比較の基準は出ませんが・・・。(続く)