DAILY SHORT COLUMNS - Daily Business -

 
2002.05.29 「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.14

それならどうしてわざわざこんなレストランに来るのかと内心私が驚いていると、また支配人が平然と当然のことのように女史のお好みを尋ねるのです。

あれを少し食べてはまたこれを少し、そしてまた次の気分に合わせてまた少しと、素材と調理法が絶妙に調和し、美しく盛り付けられた様々な和のテイストをべースにした大きなプレートがー品ずつ運ばれては、支配人のオブザーブのもと二人の端正なウェイターが各自のプレートにとり分けてくれます。味見プラスアルファー程度の分量ですから、無理なくたくさんの種類の料理を楽しむことができますし、もちろんその都度シルバーもプレートも交換されます。

海鮮類は、微妙に火が通してあったり、素材の持ち味を引き出すそれと判らないほど薄味の独得なたれとからめてあったり、あるいは巻いたり載せたりの様々な珍しい野菜を付け合わせたりと、老舗有名寿司屋をしのぐ新鮮さと繊細さ、また山の幸にしろ肉類や野菜類にせよ、出されたものの素材や調理法が味わってみてもなかなか判らないほど微妙な複雑さで、痛快なまでに小気味よく見た目の予想を裏切り続けてくれるのです。(続く)


2002.05.27

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.13

中央の広いホールと深いレザーのソファーがゆったりとレイアウトされた暗い照明の落ち着いたバーのようなこじんまりとしたスペースの間を通って一番奥の個室にエスコートされ、個室の中央の通常のテーブルを六つほどつなげたほどの大きなテーブルに着いた後に支配人がドアーを閉めてしまうと、余程防音の設備がしっかりしているのでしょう、ホールの喧騒が嘘のようにまったく聞こえなくなってしまい、お互いの息遣いまでもが聞こえそうなほどの静寂さに包まれます。

支配人が何かお好みの音楽をおかけしましょうかとホストである秘書室長の方を見て尋ね、今夜はゆっくり静かに話したいからと彼が聞き慣れないリクエストをすると、ゆったりとしたピアノのコンチェルトが静かに流れ始めます。本日はどんなものを差し上げましょうと、おそらくメニューも存在しているのでしょうが、支配人が聞いても私にはどんなものなのか想像もできないような一通りのレコメンデーションを始めます。するとデザイナー女史がそれを途中で遮って、今夜はもっとさっぱりした和食がいいなどと唐突にのたまうではありませんか・・・。(続く)


2002.05.26

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.12

このレストランの常連である私達を除く二人に対する丁重な支配人の挨拶の後、長々と大理石の床に長いカーペットが敷かれ、壁には本物なんだろうなと思わず苦笑してしまうような著名な絵画が連なる美術館のような廊下を支配人のあとに付いて歩いていくと、テーブルの間隔を驚くほど離してレイアウトされた広々としたホールのようなスペースが現れます。

そこにはピアノとギターとボーカルだけのシンプルなトリオの生演奏が入っていて、着飾った若者ばかり男女100名ほどが談笑したり、ダンスをしたり、ビリヤードやダーツに興じたりと、思い思いのスタイルで楽しんでおり、後で聞いたところによると、それは某大手企業の社長ご子息の誕生パーティーなのだとのことでした。

その貸し切りパーティーが催されている中央の広いホールの脇に、それぞれまた異なったインテリアのいくつかの仕切られたスペースがホールを囲むように設けられていて、それらのスペースの奥には完全に閉ざされたいくつかの個室が並んでいます。(続く)


2002.05.25

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.11

そのレストランは、とある都心の有名なオフィスビルの地下にあるのですが、特に看板もなく、もともと知らなければ誰にもその存在は判りません。

まるで閉鎖されているかのようなプレートすらもない重厚な巨大な木製の扉をノックすると、タキシードスタイルの支配人がエスコートに現れます。私達が訪れた時には、取引先の秘書室長、当時推進していた案件をオーガナイズしていた女性デザイナー、それに私とアシスタントの四名でした。私達はそのデザイナーを全面的にサポートしてすべてのコーディネーションをする立場でその案件を請け負っていたのですが、後述するようにそのデザイナーの存在の大きさによってそんな特別な接待を受ける機会を得たというのが正確なところです。通常接待とは、仕事を受注する側が発注する側のキーマンに対して行うもので、私の会社は仕事を受注する側だったのですから・・・。

エントランスを入ると、そこは軽く2フロアー分はあるであろう高い天井のロビーです。ここは設計の段階から地下にこのようなスペースをプランしてビルが建てられたのだろうかなどと考えてしまいました。(続く)


2002.05.24

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.10

このようなお金持ち達、そして大抵の場合相応の社会的立場も有する人達の仕事と生活の実情は、容易く彼らに物事の本質を見失わせ、また自らの在り様を錯覚させてしまうもののようです。

私もこのところ個人の顧客を中心として、間に第三者のインターミディエーターを介在させない直クライアント契約形態にシフトしてきていますし、めっきりとそういう場面に遭遇する機会は少なくなりましたが、以前は今自ら考えても呆れてしまうような様々な馬鹿げた出来事に満ちた日常を過ごしていた時期があります。

実例を挙げだせば、またきりがありませんが、ある取引先の秘書室長、彼は実際その大手企業のナンバー2として社長の懐刀(ふところがたな)的な存在だったのですが、ある日彼が私とアシスタントの二人を接待してくれた時がありました。

招待されたレストランとは、その彼の会社が出資もしている世界からのVIPの接待に利用するような特殊な会員制レストランで、表立っての宣伝などは一切しないため一般にはその名も知られていない、ほとんど内々の取引先だけがメンバーとして利用するようなプライベートスペースです。(続く)


2002.05.18

久しぶりの経験・印象の変化 Vol.5

公正かつ有益なプランを第三者に具現化させる環境づくりという視点では、今後彼は適性を発揮していくような気がします。それまではこのまま、彼には危うげな現状の立場や優柔不断なまでの言動のスタイルを護り続けてほしいと思うのです。

過去のー定の仕組みやルールあるいは規模から逸脱して肥大化し、また同時に複雑化多様化し過ぎて、既にー人歩きを始めて久しい私達の社会には、もはやその方向性や動向を把握し管理するような個人も組織も存在しません。彼に対してであるにせよ、あるいは他の誰に対してであるにせよ、もはやー個人やー組織に依頼心を抱くこと自体がそもそも誤りの始まりであって、公平かつ公正な社会づくりは、私達一人一人の意識改革の集積によってしか達成していくことなどできようはずもないのです。

正義感や献身性を、発想力や実行力を、また経験や実績など、様々な才能を有する人材が、それぞれの能力を発揮していくことができる環境づくりをしていくこと、そしてその経過と成果を広くディスクロージャーをしていけることこそが、これからの時代のリーダーに求められる素養であると思うのです。(続く)


2002.05.17

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.9

もちろんかなり極端な例を挙げてはいますが、程度の問題で、巨万の権力と富を手中にした人達の日々の生活の実情は、一般人の想像の範囲をはるかに逸脱していますし、本人達も自らの何たるかを見失ってしまっている様子を、私はこれまでに日常的に観察してきました。

それにしても、世間には驚くほどたくさんのお金持ち達が存在しています。直接その人物を知らない第三者にも名が通っているような基準の特別なお金持ちだけに限ったことではなく、彼らの多くの生活の実情は尋常ではありません。ごく普通の暮らしをしていたのでは、有り余るお金も使いきれるものではありませんし・・・。

このところ長者番付がまた公表され、マスコミを賑わせていますが、彼らの多くはこうした番付には登場してはきません。程度の差こそあれども、前述のような様々な税金対策を施しているからです。ここで話題にしているような人物達は、なかなか世間の目立つところに登場してくるものではないのです。(続く)


2002.05.12

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.8

ある大手広告代理店の社長は、丸投げ外注時に必ずプライベートペーパーカンパニーを経由させることで中抜きをしているばかりでなく、その収益を豪華別荘やクルーザー、あるいは美術品などへのその会社としての事業経費として、あるいはまた家族や親戚名義の賃金名目などで計上し、赤字経営にすることで税金も納めませんし、専属お抱えの公認会計士を通して申告することで税務署の追及もかわしています。

元政界のドンは、外遊時に200名を超える派閥議員をはじめ取り巻き随行団を従えてきましたし、膨大な食材や調理器具の運搬係を兼ねる五人のアシスタントを従えた専属調理人と、三人の若く美しいマッサージ嬢?を同行させ、上下のフロアーを含めた3フロアーを貸し切ったホテルの一泊100万円からの静寂なスイートルームで、朝からバスローブ姿の全身を三人の美女にマッサージをさせながら和食の会席フルコースに舌鼓を打っていました。(続く)


2002.05.10

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.7

しかし、たとえ一代で大企業を築き上げようとも、経営者がその企業においていかなる強大な権力を振るおうとも、企業の規模が巨大化すればするほど、企業はその経営者の手から離れて一人歩きを始めるようになります。企業としての成果は、経営者自身によるばかりでなく、取り巻まいている迎合し利用しようとする社員達や取引先、ひいては傍観する第三者の思惑までもが交錯する総合的な結果によるものだからです。

創業オーナー経営者であればなおさらのことですが、大企業においてポジションを上げれば上げるほど、自らの社内外への影響力は高まりますし、自らの存在の本質を見失わずにいることは至難の業であると言えます。。経費を湯水の如く公私の境を限りなく曖昧なまま使えますし、自ら裁量できる予算額も、一般人の想像の範囲をはるかに超えています。

いくつか私の知る実例を挙げれば、あるスーパーゼネコンの社長は、独断での東南アジアでのインフラ投資事業に300億円近くを焦げ付かせたままうやむやにしていましたし、あるベンチャー企業の名物社長は、一夜を共にしただけの女性にマンションを買い与えることで有名です。(続く)


2002.05.08

「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」Vol.6

年商100億円の壁を超えられる会社はなかなか存在しないものです。この基準にある会社組織においては、上場も視野に入ってきますし、クオリティーの高い商品あるいはサービスはもちろんのこと、完成度の高い組織体系、強固な財務体質、普遍的で公共性の高い企業理念などといった企業としての安定した社会的評価と力量が要求されるようにもなります。

また世襲から脱却するということも、企業の成長のためには重要な要素と言えます。世襲は組織を硬直化させる主因となりますし、公共化とは正反するものですから、創立から長期間を経て同族企業から脱却した後に急成長するような企業も多く見受けられます。

もちろん例外もあります。前述の「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」と話す経営の神様とも言われた初老の彼、故人となった元政界のドン、元老舗百貨店のカリスマ経営者をはじめ、世間には一代て゜巨万の富と名声を築き上げるような人物の存在も決して珍しくはありません。もはや過去となって久しい以前の高度経済成長の過程においては、それも今あるいはこれからの時代においてほどは難しいことではなかったと言えるでしょう。(続く)