DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 

2001.09.23

ささやかなプライド Vol.11

否定からは決して何も生まれてはきません。その否定は新たな否定につながっていくだけのことです。何故なら否定できる存在など何一つとして存在しないからです。

すべての存在という結果の一つ一つには、必ずそのそれぞれに原因が、そしてそれら一つ一つの結果に至る経緯というものが存在します。そしてあらゆる存在の一つ一つは、どこかでお互いに影響し合っていて、何一つとして何物にも関係しないで単独では存在しえないのです。

現状世界の最大の懸案事であるニューヨークの事件も、こうした結果が生じるには、やはりその原因とこうした結果に至るまでの経緯というものが存在するのです。現時点においてのみの事象に囚われすぎて、その本質に目を向けることなくして、根源的問題解決ははかれませんし、西側先進諸国とイスラム世界がお互いにお互いを否定し合っていたのでは、実質的な話し合いすらも成立しえません。異質な存在としてのお互いを尊重し合うこと、またそれは私達個人一人一人のささやかなプライドの総合としてのみ実現しうるのです。(続く)


2001.09.22

ささやかなプライド Vol.10

学歴や肩書きを偏重してしまうばかりに、幼い頃からの、そして現状社会における過剰な競争社会を増長させ、また組織特に大企業や国家といった体制を偏重し依存してしまうばかりに、自分さえよければという排他的自己本位的発想しか持てず、自らの人格形成をおろそかにしたまま成長できないでいる大人子供達が広く社会に蔓延しています。

また依存精神は、依存する対象にはさらなる強大さを求めるのが自然ななりゆきですから、ますます体制からの個人の精神的自立は疎外され、個人一人一人が自らの絶対的価値基準を創りあげていくことはjますます困難となっていくという悪循環からなかなか脱却できません。

何も体制の存在とその存在の在り様を全否定すべきだということでは決してありません。良きにしろ悪しきにしろ、現存の体制の存在とその在り様によって、現状の私達の社会は成立しているのですし、その中で私達個人一人一人も生かされているのですから。(続く)


2001.09.20

ささやかなプライド Vol.9

ささやかなプライドを養うもととなるのは、自らの絶対的価値基準です。

ともすれば私達は、既存の常識や習慣に対して疑問を持つこともなく、第三者の自らに対する評価を気にするがあまり第三者の価値基準に迎合してしまったり、あるいは初めから著名人など第三者のそれをそのまま自らの基準としてしまったりと、そうした他者依存的姿勢からは、決して自らの絶対的価値基準は生まれてはきません。

自らの頭で考え、また直感あるいは想像力とった様々な感性を働かせて、自らがどこから来てどこに行きたいのか、自らがやりたいことや手に入れたいものは何であるのか・・・、そうした最も基本的な命題に自らが答えを出していくことの積み重ねの過程にこそ、ささやかなプライドの蓄積があり、やがて自らが心から愛することのできる、そして他人をも愛することもできる自分自身に出会うための道筋を見つけ出すことができるのです。(続く)


2001.09.17

ささやかなプライド Vol.8

人を殺してしまうしまうことの是非を問うことは、ほとんど意味のないことだと私は思います。

凶悪な犯罪を犯せば極刑に処される、人から襲われれば正当防衛という殺人が認められ、有事においては殺害する人の数が多いほど賞賛され、宗教の名のもとにもまた殺人は正当化される・・・、そうした矛盾をあげだせばまさにきりがありません。

物事の善悪の基準は、時代や環境あるいは文化などの違いによって常に変遷するのですから、その是非で判断するのではなく、自らがそれを許容できるか否かによって判断することが普遍的な基準であると私は考えています。

ほとんどの場合私達は、自らがまったく預かり知らない理由で、縁もゆかりもないアカの他人に、ある日突然殺害されることを許容できません。自らが許容できないことを他人に強要しない、これが大勢の私達が共有する社会の根源的かつ単純なルールですし、そのルールを遵守できるか否かは、私達自身のプライドの持ち方の程度によって左右されます。(続く)


2001.09.16

ささやかなプライド Vol.7

殺人自体は悪いことではない・・・、極論過ぎましたね。人類も人であるまえに動物なのですから、自己防衛と闘争本能は、生まれながらにして備わっています。過去の歴史も証明しているように、そしてまた今回のNYの事件においても、世界の潮流は武力行使を、そして行使された側はまた報復を正当化します。そしてさらにまた報復が繰り返され、これでは平和な国際協調社会はいつまでたっても構築できません。

今回のNYの事件を契機として、今回こそ異質なお互いを尊重し合い、協調し合い、バランスのとれた国際的経済均衡をはかるために、社会的弱者と競争の敗者を救済していく仕組みづくりをしていく方法論を模索していくことこそが、唯一多くの犠牲者の死を無駄にしない道であると、私は確信しています。

にもかかわらず、報復のための武力行使を、非難し回避させる努力をするどころか、自分達までそれに加わろうとしている西側世界の悲しき現状には、深く失望の念を隠せませんし、そうした一方で若者達に人を殺すことの悪をいくら説いたところで、何の説得力も持ち得ないのはごく当然のことです。(続く)


2001.09.15

ささやかなプライド Vol.6

それでは逆に自分が被害者の立場に身をおかねばならなくなったとしたらどうでしょうか。自分が気が付かないうちに所有しているものをこっそり盗まれてしまったとしたら、あるいは長年準備を重ねてきた研究や事業:計画などを、人に盗み見られて先に発表されてしまったとしたらどうでしょう。誰もが自らがそういう被害者の立場には立ちたくないと思うはずです。こんなふうに自分が人にされたら嫌だと思うことや許せないことは、自分も人にしない、これが基本的な社会のルールの根幹です。

これはまた極端な例かもしれませんが、以前あるテレビの討論番組にて、若者が人を殺すことが悪いしてはならないことだという考えが理解できないと発言していることに対して、その場にいた大人達の誰もその少年が理解納得できるだけの論理的説明ができませんでした。

その際にも、またその番組の続編においても、様々な大人達が様々な論理を展開していましたが、私が聞いていても説得力がないという印象でした。何故なら、殺人自体は自然な行為で、悪いことではないのですから・・・。(続く)


2001.09.14

ささやかなプライド Vol.5

経験のある人達に共通していたのは、ばれなければOK、カンニングなどは他の誰もがしていること、万引きとて、一度や二度の経験は誰にでもあることというような意識でした。


それにしても、結局のところすべてはプライドの問題です。他人にばれなければ・・・、などという次元の低い発想がまかり通るのであれば、私達の社会は不正と犯罪で、そして争いで満ち満ちてしまいます。それを食い止めるのは、私達個人一人一人のささやかながらも強い自尊心に他なりません。私達一人一人のそんなささやかなプライドの総合が、公平かつ公正な、そして社会的弱者や競争の敗者に優しい、二十一世紀における明るく平和な国際協調社会を形成していく原動力となるのです。

いくらそのように私が主張したところで、そんな当たり前の道徳論と鼻で笑うような人物もその集まりの席にはいましたし、他のカンニングや万引きの経験を持つ人達にも、あまり説得力を持たなかったような印象でした。(続く)


2001.09.12

ささやかなプライド Vol.4

女性を金銭でどうこうしようなどとはまともな大人のすることではありませんし、またアジアをはじめとする諸外国にまで出かけ、旅の恥はとばかりの中高年日本人男性の利己的で横暴な言動は、まさに目にあまるものがあります。

そうした女性の尊厳を否定してしまうような発想は、その人自身の人格を蝕み、人間関係を、そして私達の社会を荒廃させていきます。


先日もちょっとした男女十名ほどの集まりの席で、カンニングと万引きの経験の有無についての話題となり、驚いたことにどちらも経験がなかったのは、ある二十代の女性と私の二人だけで、逆に経験のある他の全員から変人扱いを受けてしまいました。(続く)


2001.09.10

ささやかなプライド Vol.3

風俗には行かない・・・、
仲間内での飲み会の後などの誘いを断る時くらいにしか改めて人に話すようなことでもなく、またこんな当然の良識であって人に自慢できるようなことでもないのですが、普段のそんないかなる誘惑や、若かりし頃の一時の強い欲求にも負けないで守り続けてきたこんなことも、私のささやかなプライドの一つです。

現状においては、供給側にも需要側にも、自らの尊厳と責任のもとでそれを必要とする人達も存在するのですから、風俗産業の存在自体を否定はしません。私の友人にも風俗嬢もいますし、彼女達もプライドを持って自ら望んでそれぞれの職に就いていますし、そのことを人に隠したりもしません。

ただまだ精神的に幼い自らの言動に責任も持てないような若者達が、安直に高額の報酬につられてしまったりするのは困りものですが、それとてまずは本人の、そして結局は雇用側と需要側の大人の問題であって、その職業自体を否定する根拠にはなりえません。どんなことにしろ、選択肢は多いにこしたことはありませんから。(続く)


2001.09.08

鬱の自己増殖と拡散 Vol.10

また、どんぐりの背比べに負けた人達、あるいは何らかの事情によりその土俵にすら立てない人達の存在価値は、常に忘れさられてきました。そのうえ、たとえその背比べに勝った人達とて、さらに勝ち続けるための、あるいはその競争から脱落してしまったような際の様々なストレスは、私達の豊かな心や健全な肉体を蝕んでいきますし、その度合いが強ければ、鬱などの心の病や様々な肉体の疾病につながっていきます。

一体私達の社会のどこに明るい希望があり、私達の誰が本当に心豊かな幸せな人生をおくっているのでしょうか。

もちろんいつの時代にも、自らの主体性と積極性により、個性的独創的なライフスタイルを目指す人達が存在しますが、昨今の私達の意識や社会は、彼らの可能性を、あるいは存在の在り様自体を否定してしまうような風潮に支配されてしまっていることは、実に残念で愚かしいことかと私は思います。(続く)


2001.09.07

鬱の自己増殖と拡散 Vol.9

意識構造の改革のためには、これまでの自分自身の、そして世間一般の常識の枠をすべて一旦とりはらい、改めて自らの分析と判断により自らの常識を構築し直してみることが必要になります。

そもそも私達日本人の多くは、組織や社会への帰属従属意識を強く植え付けられ、画一化均一化されたその習慣と仕組みから如何にはみ出さずにどんぐりの背比べをすることを、強いられてきたものでしたが、いつの間にか自らもそれをよしとしてきてしまいました。(続く)


2001.09.06

鬱の自己増殖と拡散 Vol.8

二十一世紀における自由競争資本主義社会は、もはや成長の段階から成熟の段階にさしかかっています。

成長しきってしまった大人が、さらに背丈を伸ばそうとあくせくするかのような愚かしい行為をやめて、成長した大人として足を地につけた心豊かな生活をおくり、まずは周囲の青少年達に、そして世界の先進諸国の人達に、さらにまた世界の発展の途上にある国々の人達に対して、模範を示したり導いたりする方向に私達が意識を向けていくことは、世界一の経済大国日本への世界の要請であると言っても過言ではありません。そしてそのためには、まず私達自身が、成熟の時代における私達自身の平和と幸せを創造していくことが先決です。

しかしながら現状においては、私達の政治も経済社会も、未だ過去の成長神話から脱却できずにおり、もはやその前提においていくら構造改革や景気回復のための方策を模索したところで、もはや成長のピークに差しかかった経済は減速縮小の方向に向かう現状こそが自然かつ適切な現象なのですから、何より重要かつ緊急の課題は、零成長あるいはマイナス成長下の状況における私達の新たな仕事と生活のスタイルを創造していくための私達自身の意識構造改革なのだと思います。(続く)


2001.09.05

ささやかなプライド Vol.2

私のささやかなプライドなど、ほんの些細なことばかりですが、それら些細なことも守り続けていれば、やがて主義主張の基準に達しますし、ひいては日常の言動の根幹となり、自らの人生の指針へと変わっていくのです。

ささやかなプライドは、一度でも少しでも曲げてしまうと、悔い改めてやり直そうとしてもなかなか難しいものですから、どんな些細な事柄でも一度決めたら守り通すことが重要です。
誰も見ていないから、決してばれたりしないからと、誘惑の魔の手は常に伸びてきますが、他人はごまかせたところで、自分自身は決してごまかすことはできないのです。様々な誘惑に打ち克って、自ら一度決めたことをやり通していく積み重ねから、自らに対しての誇りは生まれ、成長し、そして自らへの心からの愛情が生まれてくるのですし、そして自らが愛せて始めて第三者も愛せるようになり、さらに心から愛する人に対しては、自らに対して同様に厳しくも、そしてリスクもできるようになっていくのです。(続く)


2001.09.04

鬱の自己増殖と拡散 Vol.7

戦後日本が高度経済成長を続けてきた、国民の大半はまだ貧しく、皆が富を追い求めていた時代においては、競争は善であり、その勝者も、またその結果としての物質至上主義社会も、もちろんのこと善とされ、競争の敗者や社会的弱者は、社会から忘れ去られ、人としての尊厳すらも軽んじられてきました。

まるで富や社会的立場の程度の違いによって、人格や存在価値までもが判断評価されてしまうような風潮が広く社会に蔓延してしまっています。

興るものはいずれ亡びる、急速に成長するものはまた急速に衰退するという大宇宙自然界におけるあらゆる存在の摂理に反して、企業の永続性や成長こそが善なりなどという幻想に踊り踊らされ、私達の多くは、もはや疲れ果てながらも、未だに目的を失った終わりのない旅を続けています。(続く)


2001.09.02

ささやかなプライド

人が心豊かに幸せに生きていくために必要な基本的要素、それがささやかなプライドです。

それは、何も特別なことではない、人としてごく当然の良識に沿った事柄をどの程度守っていけるかという、そのことを第三者に対して自慢ができるほどのことでもない、ごくささやかな基準のプライドです。

されども、ささやかなプライドを日々蓄積していくためには、何よりもまず判断や評価の基準を自分自身に求めていく力量なくしては始まりもしませんし、その継続には強い忍耐力も要しますから、これは決して容易なことではありません。(続く)